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川田将雅ができるまで「“18号厩舎”からはじまった」~孤高の男の原点を訪ねて~
posted2021/05/27 07:00
text by
江面弘也Koya Ezura
photograph by
Kiichi Matsumoto
2019年からルメールと熾烈なリーディング争いを繰り広げてきたポーカーフェースの硬骨漢は、これまでどんな道のりをたどってきたのか。故郷の佐賀を訪ね、見えてきたのは頂点への渇望に結びつく壮絶な原体験だった。
佐賀競馬場は佐賀県鳥栖市にある。JR鳥栖駅から車でおよそ10分で競馬場に着く。旧競馬場は佐賀市内にあったが、'72年に現在の地に新設された。
競馬場に隣接して厩舎団地がある。馬と人々が生活する区域で、18号厩舎が川田孝好厩舎である。現在、家族は近くの自宅に住んでいるが、川田孝好はいまもひとりでここで生活している。馬の側にいないと落ち着かない、生粋の競馬人である。
'85年うまれの川田将雅は、父が調教師になった'93年から厩舎で過ごしている。毎日馬を間近に見て、厩舎や競馬場で働く人たちに接してきた。ジョッキー川田将雅の原型がここで培われた。
川田家は競馬一家である。将雅の曾祖父になる川田若彌は戦前の帝国競馬協会時代に小倉競馬倶楽部の騎手兼調教師で、戦後は佐賀競馬の調教師となった。祖父の川田利美は鳥栖に競馬場が移ってから調教師となった。父の孝好は公営南関東の大井競馬場で騎手デビューし、利美が厩舎を開いてほどなくして佐賀に戻った。
川田将雅はふたり兄弟で、5歳上の兄はサラリーマンとなったが、川田はものごころついたときには「ぼくが四代目になる」と口にしていたと言う。
「でも、ジョッキーになりたいという憧れはないんです。代々この仕事をし、父が三代目で、ぼくが四代目になるのが当然と思っていたので、そこにとくべつな感情はなく、ジョッキーになるのが当たり前のことでした」