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37歳直前の“戦力外通告”に引退がよぎったが… 42歳森岡薫が給与未払い5カ月でもフットサルW杯に執念を燃やす理由
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph byDaisuke Nakashima
posted2021/05/09 17:02
42歳の森岡薫に、W杯メンバー入りの吉報は届くのだろうか
「この試合が人生最後の試合でもいい」
翌2016/17シーズン。Fリーグの強豪ペスカドーラ町田に移籍した森岡は、シーズン王者を決めるプレーオフで有言実行を成し遂げる。
「もうこの試合が自分の人生にとって最後の試合でもいい」
決死の覚悟で臨んだ名古屋との準決勝。町田はレギュラーシーズンで1分2敗と勝てていなかった宿敵を3-0で破り、Fリーグ発足以来続いてきた絶対王者の覇権に終止符を打った。
この試合で森岡は、渾身の右足シュートをゴールに突き刺している。
「名古屋にはすごくお世話になった。名古屋があったからこそ今の自分があるので、特別な思いはある。ただ自分を戦力外にしたのは若返りを図るみたいな理由で、僕がダメだったとか、結果を出してないとかじゃなかった。だから俺を戦力外にしたことは間違いだったと証明したい。名古屋を辞めてからその時までずっとそう思っていたので、それをぶつけてやりました」
狂った青写真。それでも目指すワールドカップ
並行して森岡は、ブルーノ・ガルシア新体制となった日本代表でも挑戦を続ける決意を固めた。
就任直後、ブルーノから呼び出された森岡は『お前はこの先どうしたいんだ?』と問われ、こう答えた。
「フットサルをやっている以上、やっぱり代表を目指したいです。今から4年後は41。ただ2年後のアジアカップは39なので、自分は行けると思っています。やれる自信はあります」
森岡の意思を確認したブルーノは「分かった。とりあえず2年後のアジアカップまでやってみろ」と言った後、こう付け加えた。
「他の選手と同じことをしていたら、俺は若い選手を選ぶぞ」
そこからは1年1年が勝負だった。
完全プロクラブの名古屋とは違い、町田は働きながらプレーしている選手がほとんどで、十分な練習時間も確保できない。名古屋では自身のプレーに集中していれば勝てたが、町田ではそれ以外にも考えるべきことがある。良くも悪くも視野は広がっていった。
「名古屋にいた時は『俺に出せ、俺が試合を決めてやる』っていう感じだったんですけど、町田に行くといろんな角度から物事を見なければいけなくなった。周りを見るようになって、何でうまくいかないんだろう、何でできないんだろうって思うことが多すぎてイラッとしたり、自分のプレーに集中できない部分はあったと思いますね」
それでも町田での2シーズン目にはFリーグのベストファイブに選ばれた。得点ランキング10位での選出は、生粋の点取り屋だった森岡にプレーの幅が広がりつつあることを意味した。
だがワールドカップを翌年に控えた2019/20シーズン、再び森岡は「若返り」という言葉に悩まされることになる。