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「将棋の強い“天才少女”が九州にいる――」林葉直子、里見香奈、西山朋佳…“初の女性棋士”はいつ誕生するか<60年の物語>
posted2021/05/10 17:01
text by
相崎修司Shuji Sagasaki
photograph by
JIJI PRESS
現在の女流棋界は「2強」の時代と言われている。里見香奈女流四冠と西山朋佳女流三冠の2名だが、この2名でタイトルを占めているのがその大きな理由だろう。
また、この両者には奨励会に籍を置いていた経験があることでも共通している。将棋の棋士に男女の区別はないが、プロとして認められる四段以上の「棋士」となるには奨励会を突破する必要がある。奨励会制度が出来たのは1928年だが、それ以降に奨励会を突破して棋士になることができた女性はいないのだ。里見と西山はプロ一歩手前の三段まで勝ち進んだが、最後の一線が抜けなかった。
女性が「棋士」を目指してきた歴史を改めて振り返ってみたい。
60年前「史上初の女性奨励会員」
そもそも、日本史上においてはじめて女性が将棋を指したのがいつなのかはわかっていない。江戸時代、一般的な遊戯として人口に膾炙していたので、その当時から女性が指していてもおかしくはないのだが、確証はない。
記録に残るのは1809年で、大橋浪女二段が福島順喜七段と飛車落ちを指しているが(大橋勝ち)、これが女性の指した最も古い棋譜とされている。また池田菊女という女性が明治初期の番付で四段として名を連ねているが、1839年に14歳の上野房次郎(後の伊藤宗印十一世名人)と平手で対戦して勝った記録がある。ただそれ以降、将棋界に長らく女性の名前は存在しなかった。
棋史に一石を投じたのが蛸島彰子女流六段である。1961年に奨励会へ入会したが、この時の蛸島が史上初の女性奨励会員だった。奨励会が出来てから、実に33年目である。だが蛸島には女性なので「指し分けで昇級・昇段」という特例措置が適用された。その結果として初段まで昇段したが、1966年に奨励会を退会する。本人のあずかり知らぬところで決まった措置とはいえ、このようなハンデをつけられるのは不本意だったと後に振り返っている。
その後、1974年の現在の女流棋士制度が誕生して、蛸島は第1期女流名人の座についた。
「将棋の強い少女が九州にいる――」
蛸島に続く2人目の女性奨励会員となったのが林葉直子さん(元女流棋士五段)である。