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「将棋の強い“天才少女”が九州にいる――」林葉直子、里見香奈、西山朋佳…“初の女性棋士”はいつ誕生するか<60年の物語> 

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相崎修司

相崎修司Shuji Sagasaki

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photograph byJIJI PRESS

posted2021/05/10 17:01

「将棋の強い“天才少女”が九州にいる――」林葉直子、里見香奈、西山朋佳…“初の女性棋士”はいつ誕生するか<60年の物語><Number Web> photograph by JIJI PRESS

1983年2月、中学3年の林葉直子さん。当時、史上最年少の女流名人になり王将位と二冠に

 1979年に6級で奨励会に入会した。将棋マガジンの昭和54年10~12月号では「林葉直子ちゃんの三番勝負」と題して、庄司俊之さん(その年の小学生名人)、伊藤直寛6級(12歳、当時の最年少奨励会員)、山下カズ子女流名人(現・女流五段)と戦った棋譜が紹介されている。

 10月号には「将棋の強い少女が九州にいる――。こんな噂が将棋界に広まったのは、たしか一昨年のことだったと思う。名前は林葉直子。当時9歳。地元、福岡の将棋倶楽部では二段の腕前とか、米長九段と飛香落ちで対戦。プロもほれ込む筋の良さとか」と書かれているが、当時の林葉さんは初出場した1977年の第9期女流アマ名人戦で3位、翌年の第10期はベスト8、3度目の第11期で優勝という結果を残している。11歳での女流アマ名人戦優勝は現在に至るまで、史上最年少の記録である。

 この三番勝負は伊藤6級に勝ち、庄司さんと山下女流名人に敗れるという結果だった。12月号には板谷進九段の「健二(小林健二九段)は5年で奨励会に入ったけど、それよりほんのちょっと弱いかっていう感じ。奨励会に入れるかどうかはスレスレ」及び米長邦雄永世棋聖の「アマ四段の力はあるし、普通なら何とか6級に入れると思います。取材が殺到しているが人気先行にならないようにみんな私が断っています。あと10数年たったらこういう子がたくさん出てくるとは思いますがねえ」という見解が紹介されている。

大山康晴に“飛香落ち”で勝った

 この直後に林葉さんは奨励会へ入会するのだが、入会については当時の将棋雑誌でそれほど大きく扱われた様子はない。入会後、将棋世界の昭和55年4月号に「九州よりの遠征がハンデとなって勝ちが上がらない」と書かれていたくらいである。もっとも当時の将棋雑誌における奨励会記事は、四段に近づいている会員を取り上げる傾向が強かったということもあるだろう。

 また奨励会のページでは段級ごとに会員の名前と成績が紹介されていたが(これは現在の将棋世界でも同じである)、当時の林葉さんの名前の上には「女流」と書かれていた(現在の女性会員には書かれていない)。ただし昇級における特例はなく、他の会員と同じく6連勝あるいは9勝3敗での昇級だった。

 林葉さんが世間的にも大きく取り上げられた最初は、1982年の女流王将奪取ではないだろうか。蛸島女流王将からの奪取だが、14歳3カ月でのタイトル獲得は未だに破られていない最年少女流タイトル獲得記録である。

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