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【天皇賞・春】“ビワハヤヒデvsナリタタイシン”以来の阪神開催で何かが起きる? 当時、岡部幸雄が美浦に戻って語ったこととは
posted2021/05/01 11:02
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Kyodo News
今週末、JRAでは第163回となる天皇賞(春)(GI)が行われる。例年、京都競馬場の芝3200メートルが舞台となる長距離GIだが、今年は同競馬場の改修工事に伴い、阪神競馬場に舞台を移して行われる。距離は同じ3200メートルだが、競馬場が変わる事で思いもしない結果となるかもしれない。果たしてどうだろう。
天皇賞(春)が阪神競馬場で開催されるのはこれが初めてではない。今から27年前の1994年。この年も京都競馬場が改修工事中だったため、阪神で行われた。
元号で言えば平成6年。世間では『innocent world』や『ロマンスの神様』といった歌がヒットし、プロ野球の世界では3年目のイチロー選手が史上初めて210安打をマークして首位打者とMVPを獲得。また、約2カ月前に行われたリレハンメルオリンピックのスキージャンプ、ラージヒル団体では原田雅彦選手のジャンプが失速し、日の丸飛行隊はほぼ掌中に収めていた金メダルを逃した。他にもオウム真理教による松本サリン事件などが起きたのもこの年だった。
ナリタブライアンが3冠馬になるこの年に
競馬の世界ではこの天皇賞の1週間前に行われた皐月賞(GI)をナリタブライアンが制覇。同馬は後に日本ダービー(GI)と菊花賞(GI)も圧勝し、3冠馬となるのだった。
天皇賞(春)では、そのナリタブライアンの半兄であるビワハヤヒデが1番人気に支持された。
大きな顔を持つ芦毛のビワハヤヒデは当時、現在でいう4歳。前年のクラシック戦線では皐月賞とダービーで共に2着に惜敗していたが、菊花賞では2着のステージチャンプを5馬身も千切って自身初のGI制覇。その後の有馬記念(GI)こそまたも2着に惜敗したが、この年の初戦となった京都記念(GII)を7馬身差で圧勝して盾獲りに臨んで来た。名手・岡部幸雄を背に単勝は1.3倍。圧倒的1番人気に推されていた。
2番人気はナリタタイシン。ビワハヤヒデと同期で皐月賞は1着、ダービーが3着。菊花賞こそ17着と大敗したが、この年初戦の目黒記念(GII)では58.5キロのトップハンデを背負いながら優勝。こちらの鞍上は武豊騎手だ。当時25歳になったばかりだったが、すでにトップジョッキーとして君臨する存在だった。