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「ライバルなんて思ったことは…でも」 鳥栖の39歳・金明輝監督が持つ阿部勇樹らへの敬意と“指導者のプライド”
posted2021/04/06 17:01
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
SAGAN TOSU
――2018年にサガン鳥栖はオランダの名門アヤックスと提携を結びました。その際、ミョンヒさんはアヤックスのアカデミーを視察されたそうですね。学びになったこと、影響を受けたことはありますか?
「あの経験は本当に大きかったです。当時、僕はユースの監督をしていて。あのシーズン、アヤックスはチャンピオンズリーグのベスト4に行ったんです。フレンキー・デヨング(現バルセロナ)やマタイス・デリフト(現ユベントス)もまだいて。ゲームは2試合見たんですけど、技術はもちろん、流動的にポジションを入れ替えるIQの高いサッカーをやっていて、本当に面白かった。そのあと、アカデミーを視察して、PSVとのU-23チーム同士の試合も見たんですけど、23歳以下のチームでもトップチームと同じゲームモデルで、レベルの高いサッカーをやっていた。若くないんですね、23歳って。しかもデリフトは10代なのに、トップチームの試合に出場していましたから。
10代は若いという日本の基準に少し違和感を覚えました。なので、帰国後は、ユースの選手たちに、トップのサブ組との練習試合では『これに勝たないと、トップ昇格の目はないよ』という意識づけをしました。そうした意識が定着しているので、サブ組とユースの試合は本当に拮抗するんです。激しく来ますしね。うちのユースの選手たちの能力が高いかと言えば、そんなに高くはないんです。ただ、3年間意識させ続けることで、戦えるようになるし、技術も追いついてくるのかなと」
松岡・本田・大畑は最初どのクラブも……
――多くの選手がトップチームに昇格しているし、U-15もU-18も結果を出しているのに、能力は高くないんですか?
「松岡大起も、本田風智も、大畑歩夢も、最初はどのクラブも獲らない選手たちだったんです。3人とも県外のチームに所属していて、うちのユースが獲りに行ったんですけど、松岡は第一希望がサンフレッチェ広島だったかな。でも、落ちて、別のチームもダメで、最後に僕らのところに来た」