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<29回1/3を0失点>東海大相模エース・石田隼都は達(天理)、畔柳(中京大中京)らと何が違ったのか?【センバツ優勝】
posted2021/04/01 18:25
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
KYODO
逡巡があったと言う。
東海大相模を優勝に導いた門馬敬治は、準々決勝、準決勝、ここ一番では、エースの石田隼都に先発のマウンドを託した。しかし、この日の決勝では、背番号「18」の石川永稀を先発させ、間に2年生の求(もとめ)航太郎を挟み、6回のピンチになって、ようやく石田を送り込んだ。その理由をこう語った。
「昨日の天理の中村(良二)監督のコメント、達(孝太)君のコメント、また、中京大中京の畔柳(亨丞)君の状態などが(報道を通じて)目に入ってきたもので……」
前日の準決勝、東海大相模と対戦した天理は大エースの達を使わなかった。前の試合で左脇腹を痛めたことや、そこまで3試合ですでに459球を投げていることを考慮し、大事をとって達を温存した。続く準決勝の第2試合では、そこまでの3試合で379球を投げていた中京大中京のエース畔柳が4回途中からリリーフしたものの「腕に力が入らない」と、2回と3分の1でマウンドを降りていた。
「ここまできて(よかった)、じゃないんです」
石田は1、2回戦こそリリーフだったが、準々決勝、準決勝は連続完封。「1週間500球」の制限に引っかかるほどの投球数ではなかったが、疲労していることは疑いようがなかった。
門馬が前夜、石田と話した時のことを振り返る。
「石田は、明日は(自分が先発で)行かなければ、というぐらいの気迫があった。ここまできて(よかった)、じゃないんです、と。でも、石田の将来のこともある。なので、つないで、つないで、最後は石田だと腹を括りました」
石田がマウンドに登ったのは2−2の同点で迎えた6回表、2アウト1、2塁のピンチの場面だった。そこを切り抜けた石田は9回まで得点を許さなかった。
ただ、疲労は明らかだった。前日は140キロ台も記録していたストレートが、この日は130キロ台中盤までが精一杯。決め球も、変化球が多かった。門馬が言う。