令和の野球探訪BACK NUMBER
布団に火まで…高校での壮絶イジメを乗り越え、MLBでブルペン捕手として掴んだチャンピオンリング3つ「環境を変えることも大切」
posted2021/04/04 11:01
text by
高木遊Yu Takagi
photograph by
Taira Uematsu
これまでメジャーリーグ(MLB)のワールドシリーズ王者に贈られるチャンピオンリングを獲得した日本人選手は11人。松井秀喜、松坂大輔、上原浩治……と振り返れば、錚々たる顔ぶれが並んでいる。一方で、日本人メジャーリーガーの草分け的存在である野茂英雄やイチローが手にしていないことからわかるように、決して実力だけではありつけない名誉だ。
そんなチャンピオンリングを、「3つ」も持っている日本人がいることはご存知だろうか。
植松泰良(うえまつ・たいら)。名前を聞いてピンと来る人は少ないかもしれない。なぜなら、植松の選手としての実績は高校まで。しかもその高校3年間で公式戦出場の経験は一度もない。
なぜ、そんな男が世界最高峰の舞台にまで上り詰めることができたのだろうか――。
「メジャーリーガーになりたい」
千葉県館山市で生まれた植松は、中央大まで野球を続けた父の影響で小学校低学年の頃から野球を始めた。小学6年時の卒業文集には「メジャーリーガーになりたい」と記している。
中学時代を「野球部では中心選手ではありましたが、高校から誘われるような選手ではありませんでした」と振り返るように、高校は県内の私立校に一般推薦で入学。野球部は県内大会で上位に進出する学校であったため、当時は甲子園出場を夢見ていた。
しかし、そこで植松を待っていたのは「人生で最も辛い経験でした」と話すほどの壮絶な“イジメ”だった。
「田舎者で体も細く、野球の実力もなかった」という植松に対して同級生たちのイジメはエスカレート。ひどい時には寮の布団に火をつけられることも。「野球どころではなく、野球も面白くなくなっていきました」と憂鬱な日々を過ごした。
両親が学校に掛け合ってくれたことでイジメはなくなった。しかし、そんな仕打ちをした同級生と心から友だちになれるわけもない。
最後の夏は県大会2回戦敗退。結局、公式戦出場のチャンスは3年間、一度も訪れることはなかった。
「いじめを経験していたので、心からチームメートを応援する気にはなれず、正直言うと負けて安心したところはありました。表面上では、笑ったり泣いたりしていても、心から笑ったり泣いたりする3年間ではまったくありませんでした」