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箱根駅伝スター抑え現役日本人学生トップ、“皇學館大”を選んだ川瀬翔矢の卒業後 「パリ五輪にはトラックで」 

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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photograph byJIJI PRESS

posted2021/03/30 11:00

箱根駅伝スター抑え現役日本人学生トップ、“皇學館大”を選んだ川瀬翔矢の卒業後 「パリ五輪にはトラックで」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

皇學館大を卒業し、4月から実業団で走る川瀬翔矢。関東の箱根駅伝スターたちの中、見事なレースぶりを度々見せていた

箱根駅伝には出られない地元・三重の皇學館大へ

 川瀬が言うように、大学4年間は順調だった。

 高校(近大高専・三重)時代は、三重県大会で1500m4位という成績があるが、全国的に名前を知られた存在ではなかった。それでも、5000mの自己記録は14分23秒89でその年度の高校100傑に入っており、関東の大学から声をかけられたこともあった。だが、多くの高校生が箱根駅伝に憧れ関東の大学を志すなか、川瀬が進学先に選んだのは地元・三重の皇學館大だった。

 今でこそ4年連続で全日本大学駅伝に出場中だが、皇學館大の駅伝競走部は2008年に創部したばかり(前身の神宮皇學館は戦前に東海地区の駅伝の名門だったが)。2011年に日比勝俊氏が監督に就任し強化は進んでいたものの、当時はまだ全日本大学駅伝に出場したこともないチームだった。

関東の大学への進学も考えたことがあった

 川瀬はもちろん関東の大学への進学も考えたことがあったが、進学に当たって直感が働いたという。

「自分が一番強くなれる環境はここだと思いました。直感を信じました」

 もう1つ、日比監督の存在も決め手となった。川瀬が本格的に陸上を始めたのは近大高専に入学してからだったが、高専1年時から川瀬を評価してくれていたのが日比監督だったのだ。

 川瀬の直感は1年目から的中する。

 7月のトワイライト・ゲームスでは、数多くの実力者を相手に1500mで2位に食い込む健闘を見せる。さらに、9月には5000mで一気に13分台に突入した。

 そして、初めての全日本大学駅伝では1区を任され、格上の選手を相手に積極果敢なレースを見せた。区間順位こそ10位だったが、初めての10km超のレースで終盤まで強豪校の選手に食らいついた。このレースで川瀬の存在を知った人も多かったのではないだろうか。

 日比監督は、実業団の八千代工業で監督をしていた時に、1500mからハーフマラソンまでマルチに活躍した木實淳治という選手を指導した実績があった。川瀬に対しても、種目を限定せずに、あらゆる距離に対応できる練習を課してきたが、その成果は1年目から現れた。

 しかし、川瀬の1年時の成長は日比監督の想定を大きく上回るものだったという。

「4年間かけて体づくりをちゃんとやらなきゃな、って思っていたのですが、1年目は、記録と話題性が先行してしまいました」(日比監督)

【次ページ】 「陸上をやめる……」苦しんだ2年時から

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