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【命日】「志村けんさんですか?」伝説の“10・8決戦”前夜、桑田真澄はなぜ長嶋監督にその名前を告げたのか
posted2021/03/29 06:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Keiji Ishikawa,KYODO
本日は惜しまれながら亡くなった志村けんさんの命日です。プロ野球の伝説的試合との“奇妙な縁”を描いた記事を再公開します。(初掲載:2020年4月3日、肩書きなどすべて当時)
志村けんさんが逝ってしまった。
昭和から平成、令和とお笑いと共に時代を駆け抜けてきた巨匠は、何度か東京ドームでもお見かけしたこともある巨人ファン、野球ファンとしても知られている。
実際にテレビでも野球や野球ファンを題材にしたコントをいくつも演じていた。
野球というスポーツを市民生活の一部として捉えて、それを笑いへと変換できた。そんな野球の愛し方をできる人でもあった。
決戦前夜、長嶋さんの部屋に呼びだされた。
一方で野球の現場を取材する記者として、志村さんの偉大さを思ったのは、拙著『10・8 巨人vs.中日 史上最高の決戦』(文藝春秋刊)の取材で元巨人の桑田真澄さんの話を聞いたときである。
「10・8決戦」は1994年10月8日に長嶋茂雄監督率いる巨人と高木守道監督率いる中日がシーズン最終戦に同率で優勝をかけてナゴヤ球場で激闘した試合だった。
テレビ中継の瞬間最大視聴率はプロ野球中継史上最高の48・8%を叩き出し、長嶋さんをして「国民的行事」といわしめた戦いだ。
その決戦前日の10月7日の夜、桑田さんは当時の巨人の名古屋の宿舎「名古屋都ホテル」の最上階にある長嶋さんの部屋に呼び出された。
長嶋さんは翌日の決戦に桑田さんと槙原寛己さん、斎藤雅樹さんの先発3本柱によるリレーを考え、その起用を伝えるために自分の部屋に桑田さんを呼んだのだった。
そして長嶋さんの部屋での出来事を取材していると桑田さんがこんなエピソードを披露してくれたのである。