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33歳安藤美姫が振り返る“母での復帰”「『出産を経ての復帰は無理だ』という声に疑問を覚えました」 

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河崎環

河崎環Tamaki Kawasaki

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photograph byNanae Suzuki

posted2021/04/14 11:02

33歳安藤美姫が振り返る“母での復帰”「『出産を経ての復帰は無理だ』という声に疑問を覚えました」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

現役引退から8年が経った安藤美姫さん(33)

「楽しかったです! スケートの3mmのブレードの上で演技をするには、持久力や技術面も思っていた以上に大変でした(笑)」

 子ども時代からの恩師である門奈裕子コーチの元へ戻り、9歳の頃の気分でジャンプを飛んでみたという。「大きな青タンをお尻に作りながら何度もコケて、ビデオを撮影している先生も大爆笑で」。女子スケーターとして、国際競技会で世界初の4回転ジャンプを飛んだあの安藤美姫が、1回転ジャンプからやり直した。

異例だった「母として復帰」に立ちふさがった壁

 一方で、出産後のフィギュアスケーターを現役トップレベルへ指導するという前例のない難業を受け入れてくれる人は日本にはなかなかいなかった。そんな状況で安藤の指導を快諾してくれたのが、イタリアのバルテル・リッツォ氏だった。

「『子どもは奇跡。出産で母も子も命の危険に晒されることだってある。素晴らしい宝物なのだから、ぜひサポートしたい』と言ってくださって。そういった部分でも、当時の日本はまだ女性アスリートをサポートする器がなかったと思う。復帰することに何の疑問も抱かない海外の環境に、すごく救われました」

 こうして、本格的に現役復帰に向けて再始動した安藤。「出産を経て復帰なんて無理に決まっている」という周囲の予想を覆し、復帰第一戦となった2013年9月のネーベルホルン杯で2位という結果を残した。

「やっぱり選手って、自分のためにという部分がないと絶対に強くなれない。だけど、最後のシーズンは本当に穏やかに“ありがとうございます”という感謝の想いで滑れることができました。最終的には、休養前よりもジャンプの難易度も上げてもいるんです」

 娘に伝えてあげたい強さ、スケーターとしての感謝が、安藤のスケートをまた一回り大きく豊かなものへと変えた。そして、「待っていてくれる人たち」の存在が安藤美姫を強くしたのだろう。現役最後の演技となった2013全日本選手権。その穏やかさや滑らかさ、完成度の高さが観る者たちの胸を打ち、「スケーター・安藤美姫の到達点」として伝説となった。

「(最後の全日本は)すごく幸せな気持ちでリンクの上に立てたんですよね。コーチも門奈先生が立ってくれて、イタリアのバルテル・リッツォやトレーナーの先生、かかりつけの名古屋のドクターまで来てくれて(笑)。自分を信じてサポートしてくれている人たちが、その会場に全員いてくれた環境だったんです。やっぱり良いも悪いも、私の人生にはすごく『人』が関わってくださっている」。

 そして安藤は、父親のことを話し始めた。

【次ページ】 「父が生きてたら、私はスケートはやってない」

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