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「松本さんは、バレーボールの化身ですね」40歳でもスタメン、進化を止めない松本慶彦の何がスゴい?
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph bySAKAI BLAZERS
posted2021/03/24 11:02
今年2月にVリーグ400試合出場を達成。ゴーダン監督(右)からも「信じられない」と賞賛された
「ゆくゆくはサイドでも速いトスを打てるように、ということでした。『ちょっとやってみようか』とやりだしたら、はまった。クイックなんてはじめはまったく打てなくて、何もかも変えました。サイドの時は思いっきり深く踏み込んで、バーンと伸び上がるようにジャンプして、テイクバックも大きく取っていたけど、踏み込みを浅くして、とにかく速く上に跳んで、テイクバックをコンパクトに。
ミドルはまったく新しい世界でしたね。速い攻撃はやったことがなく新鮮で、新しいことができるようになると、楽しくなって。サイドに戻ろうとは全然思わなくて、逆に『ミドルを極めよう』と思うようになりました(笑)」
北京五輪に出場「もうバレーはいっか」
卒業後はVリーグのNECブルーロケッツに進み、代表にも選出された。しかしその後も一度、バレーを辞めようと考えたことがある。日本男子が16年ぶりに出場を果たした2008年北京五輪後のことだった。
「北京に向けては本当に『ここで終わってもいい』という気持ちでやっていたので、燃え尽きた感がありました。だからオリンピックが終わったあと、『もうバレーはいっか』と思ったんです」
松本を思いとどまらせたのは、妻の小由樹さんの言葉だった。小由樹さんも元Vリーガー。日立ベルフィーユのリベロとしてプレーしたが、01年にチームが廃部となり、引退を余儀なくされた。
「世の中には、やりたくても、いろんな事情でできない人もいる中で、バレーができるというのは幸せなんじゃないの? まだできるのに自分から辞めるというのはどうなの?」
妻にそう言われて、「もう少し頑張ろうか」と再び歩き始めてから12年が経った。
08年にNECから堺ブレイザーズに移籍したことを機に、プロ選手となった。4年後のロンドン五輪出場を目指したが、世界最終予選で敗れ出場権を逃した。
「チームの力的には絶対行けると思っていたので、取りこぼした感が、今でもものすごくあって……。悔しさが、ずっと残っているんですよ」
その悔しさが、バレーボールへの執着を生んだのかもしれない。松本はバレーにのめり込んでいった。
「年を経るごとに、パフォーマンスが落ちてきたら落ちてきたで、じゃあそこから上がるにはどうしたらいいかと考えるので、終わりがないんですよね。1年ずつの積み重ね。自分でゴールを定めれば、ゴールして終わりなんですけど、目標とか、何歳までとかは決めていないんで」