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〈香川真司32歳に〉「どちらかと言うと、幹にならない選手」J2にいた“19歳の天才”を名将たちが見出した日
posted2021/03/17 11:02
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
Getty Images
日本サッカーの歴史において、2008年3月27日は取り立てて大きな意味を持つ一日ではない。同年夏の北京五輪を控えたU-23日本代表が、アンゴラA代表とテストマッチを行なったことが、小さなトピックとして記録されている程度である。
ところが、この試合はのちに大きな意味を持つ。
当時の日本代表を指揮していた岡田武史監督が、新戦力と成り得るタレントと遭遇したからである。
19歳になったばかりの香川真司を見て
岡田監督は帰国したばかりだった。前日に南アフリカW杯アジア3次予選のバーレーン戦が敵地マナマで行なわれ、日本は0対1で敗れた。チームはナイトゲーム後の深夜に現地を離れ、指揮官は成田空港からそのまま国立競技場へ向かったのだった。
誰かに目をつけていたうえでの視察ではなかった。身体のなかで燻る敗戦の悔しさを、落ち着けるための時間だったのかもしれない。
U-23日本代表は53分に先制点を奪い、反町康治監督は67分、71分、74分と選手交代をしていく。76分に同点にされると、さらにふたりの控え選手を送り込んだ。
途中出場した5人には、香川真司が含まれていた。10日前に19歳の誕生日を迎えたばかりだった。
岡田監督が香川を生で観るのは、この試合が初めてだった。イビチャ・オシム前監督が病床に伏したことにより、前年の12月に指揮権を託されたばかりである。Jリーグが開幕直後ということも含めれば、J2のセレッソ大阪に所属する19歳にまで眼が届いていなかったとしても、彼を責めることはできなかっただろう。
「後半から出てきて、『えっ、こんな選手がいるのか』って驚いた。面白いところでボールを受ける選手だなあってね」
反町監督「真司は他の選手とちょっと違ったな」
U-23日本代表を指揮する反町監督は、前年の北京五輪アジア最終予選から香川の招集を検討していた。実際に手元に呼ぶのは08年2月のアメリカ遠征までずれ込むが、すぐに香川のポテンシャルを確認することができた。