フランス・フットボール通信BACK NUMBER
王様ペレに「神様」と呼ばれた、アフリカ出身初のフランス代表ラルビ・ベンバレクの数奇なサッカー人生
posted2021/03/21 11:01
text by
フランク・シモンFrank Simon
photograph by
L’Équipe
『フランス・フットボール』誌は、昨年12月8日発売号から今年2月9日発売号まで「黄金のクラッキたち」という短期集中連載を掲載した。1956年のバロンドール創設以前に、もしもバロンドールが存在していたら受賞したであろう伝説的な選手たちを紹介するのがテーマであり、第1回で取り上げられたのはアルツール・フリーデンライヒ。1909年から1935年までに、ペレを上回る1329ゴールをあげた(ペレの生涯得点は1281ゴール)とされるドイツ系ムラートのブラジル人ストライカーである。
以降ディキシー・ディーン(戦間期に活躍したエバートンのストライカー)、ジュゼッペ・メアッツア(ワールドカップ連覇を果たしたイタリア代表キャプテン)と続き、最後はフアン・アルベルト・スキャフィーノ(1950年代にウルグアイ代表とACミランで活躍したインサイドフォワード)で連載は終わる。
その第6回(1月26日発売号)で取り上げられているのがラルビ・ベンバレクである。ピエノワールであったアルベール・カミュが、アルジェリア時代には地元クラブでゴールキーパーを務めていたように、北アフリカとフランスの関係はサッカーにおいても深い。ベンバレクこそは、初めてフランス代表に選ばれたアフリカ出身選手であった。しかもその活動時期は、第ニ次世界大戦を挟んで24年もの長きにわたる。ペレはベンバレクに会った際、そのキャリアに敬意を表して「私がサッカーの王様なら、ベンバレクは神だ」と語ったという。
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FF誌1月26日発売号でフランク・シモン記者がなぞるのは、そんなベンバレクの生涯であり、鬼才エレニオ・エレーラとのかかわりである。(肩書などは『フランス・フットボール』誌掲載当時のままです)
(田村修一)
フランスで活躍した最初のアフリカ出身選手
生まれた年は本当に1917年なのか、それとももう1年早いのか? 1992年9月16日に亡くなった後も、ラルビ・ベンバレクが生まれた正確な年がいつであったかは、歴史家や伝記作者にとって大きな議論の的だった。フランス領のモロッコ・カサブランカで生を受けてから100年以上が過ぎた今も、彼はフランスやアフリカのみならず、ひろく世界から高い評価を受けている。その生涯は神格化され、実際に彼のプレーを見たことがある者がほとんどいない今日において、それは驚くべきことである。しかし彼らの証言と数々の逸話は、謙虚で魅力に溢れたベンバレクの生涯を浮き彫りにしている。
ベンバレクはカサブランカの貧民街のひとつフェルム・ブランシュで生を受けた。父親は船舶修理工で、死後は兄のアリが父親代わりを務めた。14歳になるころには長身で屈強なアスリートの体躯を有し、サッカーでも頭角を現していた。1934年に17歳でデビュー。クラブはモロッコ2部リーグのイデアルで、ポジションはミッドフィルダーだった。