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王様ペレに「神様」と呼ばれた、アフリカ出身初のフランス代表ラルビ・ベンバレクの数奇なサッカー人生 

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フランク・シモン

フランク・シモンFrank Simon

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posted2021/03/21 11:01

王様ペレに「神様」と呼ばれた、アフリカ出身初のフランス代表ラルビ・ベンバレクの数奇なサッカー人生<Number Web> photograph by L’Équipe

1948年5月23日、コロンブで行われたスコットランドとの親善試合でシュートを放つベンバレク

 1年後の1954年5月23日、OMはフランスカップ決勝に進んだ。相手は同じ南仏のライバルであるニース。ベンバレクはフランスでの初タイトルに大きな希望を抱いたが、結果は1対2でOMの敗北に終わった。

 次の54~55年シーズンが、彼にとってヨーロッパで最後のシーズンとなった。リーグ10位という結果は、OMにとって決して望ましいものではなかったが、ベンバレク自身は好調を維持し、再びフランス代表に招集され世界チャンピオンの西ドイツと親善試合で対戦した(1954年10月16日、ハノーバー。8万6000人の大観衆の前でフランスが3対1で勝利)。そしてこれが彼の最後の代表戦となった(通算では17試合3ゴール)。

 またその数日前、10月7日にはパルク・デ・プランスでフランス代表対北アフリカ選抜の親善試合がおこなわれた。3対2でフランスが勝利したこの試合でも、観衆を魅了したのは怪我のため30分を残してピッチを退いたベンバレクだった。スタンドを埋め尽くした人々は、彼がピッチを去った後も代表復帰を叫び続けたのだった。

故郷で迎えた人生の終末

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 55年にモロッコに戻った彼は、首都ラバのFUSでひとシーズンを過ごした後に現役を引退した。カサブランカでは皇太子(当時)ハッサン2世が創設したFARの監督を務めたが、指導者としてはさしたる業績はあげられなかった。それよりも50歳をすぎてからも、ガラマッチで現役時代と変わらぬパフォーマンスを披露して人々を驚かせた。

 1992年9月16日、幼少期を過ごした《白い街》カサブランカで、彼は静かに息を引き取った。誰にも看取られなかった孤独な死。それは世界大戦という困難な時代にあっても偉大な生涯を築いたベンバレクにとって、淋しい最後であった。

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