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「ははは、分かんない…ボクを出したら優勝できるんで」“ヴェルディの異端児”石塚啓次46歳、27年前・伝説のインタビューを振り返る
posted2021/02/20 17:05
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
J.LEAGUE
「もっと(懸命に)やっておけばよかったという思いはありますよ。ヴェルディの練習は面白かった。紅白戦なんて試合よりも強い相手とできるんやから。下手なやつはおらんし、ラモス(瑠偉)に対しても『かかってこいよ、コラッ!』って感じで向かっていって、毎日ゾクゾクしてた。やから(選手として)もう一皮剥けへんかったんかもね(苦笑)」
昔のことは記憶がないと言いつつ、現役時代のことについて聞くと、石塚啓次(46歳)はそう話し始めた。
Jリーグ開幕バブル「毎晩、遊び呆けてね(笑)」
京都の山城高の3年時に出場した92年度の冬の選手権では、金髪にピアスという出で立ちで強烈なインパクトを残したが、ケガの影響で出場時間は0-2と敗れた国見(長崎)との決勝の20分ほどにとどまった。
それでも、高いテクニックと視野の広さを買われて当時Jリーグで人気、実力ともにトップに立っていたヴェルディ川崎へ入団。途中コンサドーレ札幌への期限付き移籍を挟んだものの、石塚は02年7月までの約10年をヴェルディで過ごした。
「小見(幸隆)さんに声をかけてもらって、ヴェルディに行けるってなったときはうれしかった。当時は、カッコよさがあったしね。忘れたことも多いけど、練習初日に加藤久さんに挨拶ないやんって怒られたのは覚えている(笑)。サテライトでブービー(渡辺淳一)とアモローゾ(元ブラジル代表FW)と中盤を組んでいたときも楽しかった」
93年に高卒でプロ入りし、当初は週2試合のペースで連戦が続くなか、Jリーグ開幕バブルも味わった。
「オレはフルに出ていたわけでもなかったし、そこまで大変やなかった。それよりも毎晩、遊び呆けてね(笑)。六本木のクラブやレストランに行けば、誰かしら先輩がおって。ヴェルディではカズ派(三浦知良)、ラモス派、キーちゃん派(北澤豪)、哲さん派(柱谷哲二)ってカバン持ち制度があったけど、オレはどこにも属さず誰とでも仲良くしとったな。だから、その日の気分でハシゴしたり。自由に、どこでも行っとった」
「僕を出したら優勝できるんで…」伝説のヒーローインタビュー
Jリーグでの通算成績は106試合出場15ゴール(J1)。シーズンによっての浮き沈みもあり、その才能を思えば不完全燃焼だったと言ってもいいだろう。それでも、2000年にはキャリアハイの29試合に出場し6ゴールを挙げるなど充実したシーズンもあった。