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「嫌でたまらなかった」世界最高のSBカフーが最初に望んだのは攻撃的ポジションだった【ドリームチーム選出】
text by
エリック・フロジオEric Frosio
photograph byJean-Louis Fel/L’Équipe
posted2021/02/07 17:01
ブラジル代表としてW杯に4回出場。優勝2回、準優勝1回。142キャップはブラジル代表における最多記録
カフー 僕は1970年に生まれた。カルロス・アウベルトがメキシコW杯でジュール・リメ杯を掲げた年だ。決勝戦での彼のゴールには胸が躍った。彼はブラジルサッカーの歴史を作った選手で、僕のインスピレーションの根源のひとつだった。すごく尊敬している。もちろんペレもだけど。
同時代にプレーした選手ではディエゴ・マラドーナが大好きだ。彼はまさにサッカーの素晴らしさを体現していて、ドリブルは驚異的だった。幸運にも対戦の機会にも恵まれた(1993年、ブエノスアイレスでの親善試合。アルゼンチン1-1ブラジル)。
努力を放棄せず、謙虚に夢にこだわった
――クラブの育成センターに入るのに苦労したあなたにとって、史上最高の右サイドバックに選ばれたのは大いなるリベンジなのではないですか?
カフー ああ、たしかにセンセーショナルだ(笑)。9回だぞ、9回! それだけの回数、入団テストで落とされて、プロには絶対になれないと言われた。9回も続くと夢の実現など不可能と思うようになる。でも僕は努力を放棄せず、気持ちの強さと謙虚さを失わなかった。そしてタイトルを獲得した。トロフィーを得たことで世界的に認知されて、自分を表現できた。だからとても嬉しいんだ。もしも夢にこだわらなかったら、このポストで世界最高のひとりになることなどできなかったから。
――最初にあなたを信頼して手を差し伸べたのは誰ですか。チリーニョでしょうか?(1988年にカフーがサンパウロFCのユースに入団した際のトップチーム監督。若手の発掘に手腕を発揮した)
カフー 違う。最初は僕の父だった。彼が僕に信じる力を与えてくれた。絶対に夢を実現できる力があると、彼は何度も僕に繰り返して語り続けた。それからイタクアケセトゥバ(カフーが生まれたサンパウロ近郊の街のチーム)からサンパウロFCに引き抜いてくれたジョアン・アレモンのような監督がいる。他にはチリーニョやテレ・サンターナをはじめとする監督たちだ。