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「嫌でたまらなかった」世界最高のSBカフーが最初に望んだのは攻撃的ポジションだった【ドリームチーム選出】
text by
エリック・フロジオEric Frosio
photograph byJean-Louis Fel/L’Équipe
posted2021/02/07 17:01
ブラジル代表としてW杯に4回出場。優勝2回、準優勝1回。142キャップはブラジル代表における最多記録
――18歳でサンパウロFCに入団した際のポジションはどこでしたか?
カフー 最初は右ウィングからスタートして、サイドバックにコンバートされる前に8番(攻撃的ボランチ)にポジションを変えた。徐々にポジションが下がっていくたびに適応しなければならなかった。
――あなたの希望は通らなかったのですか?
カフー 僕にはそれなりの適応能力がある。ピッチの右サイドなら、前だろうと後ろだろうとどのポジションもこなせる。1991年にテレに右サイドバックに固定されるまで、僕は監督ごとの要求に応じてさまざまなポジションをこなした。サイドバックに固定されたきっかけはスタメンの負傷だった。テレ・サンターナにいくつか簡単な指示を受けて右サイドバックで出場した。その後はずっと同じポジションでプレーしている。
――しかし1992年12月13日のトヨタカップ、サンパウロFC対バルセロナ戦(2−1でサンパウロの勝利)では、11番、右ウィングでプレーしました……。
カフー たしかにそうだけど、一時的なものだった。僕はそのころ膝の軽い負傷から復帰したばかりで、ビトールが右サイドバックのスタメンに入っていた。だから僕は好きな攻撃的ポジションでプレーできたんだ。
守備的ポジションで溜め込んだ不満
――その後ふたたびサイドバックに戻ったのはどうしてですか。フラストレーションは感じませんでしたか?
カフー もちろん感じた。サイドバックだと得点やアシストの機会もずっと少ないし、攻撃に参加して違いを作り出すチャンスも限られるだろう。
――テレ・サンターナを説得しようとは思いませんでしたか?
カフー 最初は嫌でたまらなくて、何度も不満をぶちまけた。中盤か前線で使ってもらえるように繰り返し頼んだ。「プロフェッサー、僕はサイドバックじゃないしディフェンダーでもないです!」と彼に言い続けた。でもある時、納得できる言葉をもらったんだ。
「私は君をサイドバックとして頼りにしている。このポジションのために別の選手を獲得する気はない」
それからは優れたサイドバックになるための努力を惜しまなかった。だからうまくいったわけだ。違うかい(笑)。