“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「僕らは最強の世代じゃない」鈴木徳真&渡邊凌磨がいた“前橋育英”から7人がJ1に!<選手権V逸から6年>
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byYohei Osada/AFLO SPORT
posted2021/01/30 11:01
多くのJリーガーを生み出している2014年度の前橋育英。当時主将を務めていた鈴木徳真は昨季、徳島のJ2優勝に貢献し、今季はいよいよJ1のピッチに立つ
高校卒業後も続いた「刺激」
その関係性は高校を卒業した後も続いた。
複数のJ2クラブから正式オファーをもらっていた鈴木は、「大学で教員免許を取ったり、いろんなことを学びたいし、人としても成長したい」という理由で筑波大に進学。一方、渡邊も早稲田大に進学した後、NIKEが主催する育成プロジェクト『NIKE MOST WANTED』(15年)への参加をきっかけにドイツ・ブンデスリーガのインゴルシュタットのU-23チームに加入した。
2人に負けじと「4年後には絶対にプロに行く」と吉田は法政大に、坂元は東洋大、小泉は青山学院大、そして岡村は立正大に進学。吉田以外の3人は関東大学リーグ2部と東京都1部リーグ所属(当時)という環境だったが、それぞれが高い意識を持ってサッカーに取り組んだ。
「中学から一緒だった佳穂(FC東京U-15むさし)と別々のチームになったことで、より負けたくない気持ちが強くなりました。青学と対戦するときは、めちゃくちゃ気合いが入るんですよ。それに凌磨も海外で頑張っていて、徳真も1年の時から大学リーグ1部で試合に出ている。よりモチベーションを高く持ってサッカーに打ち込むことができたのは、彼らのおかげだと思います」(坂元)
坂元のブレイク、続々とJ1へ
大学生活を終えた面々は、それぞれプロの道に歩みを進める。鈴木はJ2徳島、小泉はJ2琉球、吉田と岡村は当時J3の群馬へ加入。18年7月に志半ばで帰国した渡邊も「ここからもう一度Jリーグで這い上がっていきたい」とJ2アルビレックス新潟に加入した。
その中でプロの舞台で“先陣”を切ったのは、高校時代には控えに甘んじることもあった坂元だった。
J2モンテディオ山形ではルーキーイヤーからリーグ全試合出場、7ゴールの活躍を見せ、前出の通り、翌20年にC大阪に個人昇格。Jトップクラスの切り返しを武器にレギュラーに定着し、上位争いを演じるチームで堂々としたプレーを続けている。またGK吉田も群馬で1年目から出場機会を得ると、1年でのJ2復帰に貢献。その働きが認められて20年に一気に2カテゴリーを駆け上がる個人昇格を果たした。
そして今季、仲間たちも後を追った。
昨季は徳島のJ2リーグ優勝に大きく貢献した鈴木は満を辞してJ1へチャレンジする。新潟から移籍した山形でキャリアハイとなる7ゴールをマークした渡邊はリーグタイトルを狙うFC東京へ。ボランチとトップ下で高いキック精度と視野の広さを惜しげもなく披露し、琉球の攻撃の中枢として躍動した小泉は浦和へ。対人能力とビルドアップ力に秀でたCBとして、リーグ全試合フル出場を達成した岡村は、お先にデビューしている後輩・金子と同じ札幌のユニフォームを着ることになった。
主将だった鈴木は仲間たちの成長ぶりをこう語る。