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巨人ビエイラ、漫画みたいなブラジル時代秘話 “貧困”も片道6時間かけて練習参加、5カ月で球速17kmアップ 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byNanae Suzuki

posted2021/01/17 06:02

巨人ビエイラ、漫画みたいなブラジル時代秘話  “貧困”も片道6時間かけて練習参加、5カ月で球速17kmアップ<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

粗削りながら巨人での今後が期待される剛腕ビエイラ。ブラジル時代から想像以上の努力家だった

 ところが、日本文化協会やチームの関係者が援助の手を差し伸べてくれた。それによってビエイラは野球を始めることができた。大柄だが機敏で、主に三塁を守った。

フットボールに転向しかけた時期もあったが

 スポーツ万能で、地元ではかなり目立つ存在だった。地元のフットボールクラブから誘われ、11歳のとき、一時はフットボールに転向しかけた。

 そちらの才能も十分にあったが、本人は「野球の方が楽しい。やっぱり野球をやろう」と考え直した。ところが、タトゥイの少年野球チームは資金難のため消滅してしまった。

 大都市サンパウロであれば、野球チームはいくつもある。しかし、地方都市タトゥイには他になかった。やむなく、兄や地元の日系人と自主練習を続けた。

週末だけだがチームで練習できることに

 13歳のとき、サンパウロ近郊アルジャーの日系野球チーム「ジェセブス」の関係者がビエイラの境遇を知り、チームに招いた。

 しかし、タトゥイからアルジャーまでは200km近い距離がある。しかも直通バスはなく、サンパウロを経由して二度乗り換える片道6時間の道のりだ。旅費もかさむ。しかしジェセブスの関係者が旅費、食費、用具代などすべて負担してくれ、週末だけではあるがチームで練習できることになった。

 平日はタトゥイで中学に通い、自主練習。金曜の午後にタトゥイを出発し、夜、アルジャーに着いて、チームメイトの家に泊めてもらう。土曜、日曜とチームで練習して試合にも出場する。そして、日曜午後にアルジャーを出発し、3本のバスを乗り継いで夜遅く、タトゥイの自宅に帰り着く……。

 こうして、またチームに所属してプレーできるようになった。少年は、嬉々として練習に励んだ。この頃から、プロ選手を夢見るようになったようだ。

17歳、ヤクルトのアカデミーに合格したが

 2000年の初め、サンパウロ州にヤクルト野球アカデミーが設立された。ブラジル・ヤクルトが出資し、専任の指導者が南米各国から優秀な若手を集めて英才教育を施す。そこから10年後の1月、17歳のビエイラは入団テストを受けて合格した。

 ところが、彼の前に2つの障害が立ちはだかった。

【次ページ】 「あと数カ月間だけ野球をやらせてあげて」

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