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那須川天心に挑む志朗は一昨年の敗北から何をした? 「スタミナでは自分が勝っていることがわかった」
posted2021/01/17 11:02
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Susumu Nagao
昨年最も成長したキックボクサーは誰か。筆者は迷うことなく志朗の名前を挙げる。白眉は11月1日大阪で行なわれた那須川天心への挑戦者決定トーナメントだろう。
決勝では志朗戦を迎えるまで20連勝中だった鈴木真彦から右ストレートでダウンを奪った末に判定勝ち。試合前、那須川は「志朗君が優勝するでしょう」と吐露していたが、その通りの展開になった。
志朗といえば、一昨年9月に那須川との一騎討ちを実現させている。結果はフルマークの判定負けだったが、一番の問題は試合内容でインパクトを残せなかったことだった。一部の関係者からは「駆け引きの攻防は十分見応えがあった」と評価される一方で、那須川のプレッシャーとスピードに押しまくられ志朗は最後まで待ちの展開を余儀なくされたのだ。志朗から勝負に行く場面が少なかった分だけ物足りなさを感じた。
ムエタイの頂きを目指し、15歳からタイに
那須川と闘うためにRISEを主戦場とするまで、志朗はタイで国技ムエタイの頂きを目指す選手だった。それも試合のたびに日本からタイに足を運んでリングに上がるのではなく、15歳から現地のムエタイジムに住み込み、タイ人選手とともに寝食をともにするスタイルを選択した。
不衛生な環境の中、食中毒になったことは一度や二度ではない。スラム街のジムにいた時には銃声の音を何度か聞いた。過酷なタイ人コミュニティの中で努力を積み重ねた甲斐あって、2017年春からは現地のテレビマッチに頻繁に起用されるだけの実力と知名度を手にすることができた。
そんなタイで活躍する和製ムエタイ戦士が日本に腰を据え、RISEに継続参戦するようになった理由はファイターとしての目標を“打倒・天心”に転換したからにほかならない。那須川は、プロデビュー以来いまだ無敗の快進撃を続けている怪物だ。志朗がライフワークであるはずのムエタイを休止してまで目指すだけの価値は十分すぎるほどあった。