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【涙の高校サッカー選手権】1年に正GKを奪われた“J内定3年”の葛藤、「楽しそうにサッカーやるヤツら」への反抗心
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2021/01/09 06:00
伝説となった1997年度の東福岡vs帝京「雪の決勝」。帝京は金杉のゴールで先手を取ったが……
<名言4>
「俺は一体何をしているんだろう」と……。まさかまだ入学前の松原にスタメンを取られるとは予想もしていなかった。
(猪瀬康介/NumberWeb 2019年1月9日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/833138
◇解説◇
流通経済大学柏は千葉、いや日本有数のサッカー強豪校として知られている。そこで繰り広げられるのは激しく、ハイレベルなチーム内競争だ。
特に熾烈なのは、たった「1枠」しかない正GK争いである。
185cmと恵まれた体格の猪瀬は、2年生からトップチームに入ると第2GKながら選手権準優勝を経験。翌年度の守護神候補と見られていた。
しかし、猪瀬が高2秋の段階で「即戦力のGKが入って来るらしい」という噂が部内に飛び交い、それが現実になる。世代別代表経験もある松原颯汰の入学が決まったのだ。
猪瀬にとって不運だったのが、負傷だった。左足骨折などもあって戦線を離脱、その間に松原が入学前から“守護神”としてサニックス杯のレギュラーGKとして抜擢されると、全国の強豪相手に好セーブを連発したのだ。
復帰間近の猪瀬は同大会に参加せず、千葉で調整を進めていたが、「サニックスから帰って来たAチームの選手達が部室で『松原すごいな』、『あいつ半端ないわ』という会話を何度もしていて……」(猪瀬)。これほどまでにショックを受けたことはサッカー人生でないだろう。
序列は変わらずとも、自らのできることを
その後も序列は変わらず、最上級生で迎えた9月ごろには就職を考えるなど、高校まででGKグローブを置こうと思った期間もあったという。それでも「やっぱり僕はサッカーをしたいし、正GKとしてプレーしたい」という思いが沸き上がるとともに急成長を果たす。
控えだとしても、見てくれている人はいた。J2のFC琉球から練習参加の誘いを受けた。ここで「一番良いプレーができた」猪瀬は、翌シーズンの加入内定をゲットしたのだ。
迎えた最後の選手権、ゴールマウスに立ったのは――松原だった。
それでも猪瀬は「今日も頼むぞ」と、日々お互いを高め合った後輩をサポートし続けていた。