ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
ゴミが飛び交い「やめろ」コールも…「たけしプロレス軍団」参戦に観客激怒 新日本、87年12月の悲劇
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2020/12/31 11:02
たけしプロレス軍団(TPG)がリングに上がった『イヤー・エンド・イン国技館』の悲劇は奮闘の跡でもある
成功が約束されたかのように思われたが…
とはいえ、本当にたけしが猪木を倒すためのレスラーをスカウトするというのは、土台無理な話だ。そのため『オールナイトニッポン』にゲスト出演した際、たけしから参謀格に指名されたマサ斎藤が、アメリカからスカウトしてきた未知の外国人レスラー、ビッグバン・ベイダーを両国大会に送り込む、というかたちとなった。
そして、“たけしの刺客”ビッグバン・ベイダーのデビュー戦は、藤波辰巳&木村健吾vs.ビッグバン・ベイダー&マサ斎藤に決定。『イヤー・エンド・イン国技館』は、猪木vs.長州と、たけしプロレス軍団初参戦という2つの目玉が用意され、チケットは完売。求心力と遠心力両方のカードが揃い、成功が約束されたかのように思われた。
しかし予定調和を嫌う猪木は、“鉄板”の2大カードを崩しにかかり、それが大混乱を招く結果となってしまうのだ。
プロレスファンが“部外者”参入を拒絶
迎えた12.27両国当日。ベイダー&マサ斎藤とともに、TPGの“軍団長”ビートたけし自身もたけし軍団を引き連れリングに登場。当時、たけし人気は絶頂期であり、関係者は大いに盛り上がることを予想していた。ところが実際は一部で「たけし」コールが起こったものの、1万人の大観衆がたけしに罵声を浴びせるという想定外の展開となる。
今でこそ、プロレス団体がお笑い芸人や芸能人と絡むことは珍しくなくなったが、当時のプロレスファンは、“部外者”参入を拒絶したのだ。
その拒絶反応は、たけし軍団のガダルカナル・タカとダンカンが「猪木さんは我々の挑戦を受けてくれたはずです」「(ベイダーと猪木の一騎打ちを)やらせてくれ!」とマイクでアピールするとさらに増幅。それでありながら、マサ斎藤が「猪木! 俺がアメリカから連れてきたこの男と闘え!」と迫ると、リングに上がった猪木は「よーし、受けてやるか、コノヤロー! (お客さん)どーですかー!」と対戦を受諾。メインイベントの猪木vs.長州は、猪木vs.ビッグバン・ベイダーに急遽変更となり、長州はベイダーの代わりにマサ斎藤と組んで、藤波&木村と闘うこととなってしまったのだ。
この観客を無視した展開に怒ったファンは、長州&マサvs.藤波&木村が始まると、一斉に「(試合を)やめろ」コールの大合唱。リング上には物が投げ入れられ、長州、藤波ら4人は、食べかけの弁当箱や飲みかけのビールのコップなど、ゴミが飛び交う汚れたリング上で、ただただ黙々と試合をこなさねばならなかった。