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「今は2019年12月」と言い聞かせて…ケイリン・脇本雄太が「競輪」を犠牲にしてでも東京五輪に懸けるワケ
posted2020/12/27 17:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
TEAM BRIDGESTONE Cycling
来たるべき日を目指して――。
新型コロナウイルス感染拡大で1年延期になった東京五輪へ向けて、多くのアスリートが焦りや不安に苛まれ、それでも前を見据える。その思いは、自転車競技の第一人者、脇本雄太も同じだ。
「今、2019年12月を迎えているんだという感覚でいます」
2020年12月現在、脇本は東京五輪日本代表にすでに内定している1人だ。しかも東京五輪へ向けて、生活をかけた「覚悟」とともに歩んできた。
自転車競技に出会ったのは高校入学後
まずはこれまでの足取りを振り返ってみたい。
「変わった経歴を持っていると思います」と自ら語る。それは間違いではない。自転車競技に出会ったのは高校入学後。しかも小中学生の頃は「運動をまったくしていなかった」。日本代表選手の中には小学生の頃から自転車に取り組んできた選手もいるのを考えれば、加えて他のスポーツにも励んでいなかったことを考えても、今日からすれば異色と言っていいだろう。
スタートは遅かった。それでも脇本は目覚ましい成長を見せる。ついには国体で優勝も果たした。そのとき、家族から言われた。
「世界一を目指すつもりはないの?」
やってみようかな。ふと思った。
「軽い気持ちだったんですけど」、まずは競輪の選手を目指そうと考えた。
「オリンピックに出場したいけれどお金がない。どうしようと思っていました。そのとき競輪の選手だったら稼ぎながらオリンピックを目指せると知りました」
競輪学校を経て、描いていた青写真の通り、デビューを果たした。
2016年、世界選手権で5位入賞を果たし、リオデジャネイロ五輪の男子ケイリンに出場する。だが13位にとどまった。世界の壁に跳ね返された。