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相澤晃、三浦龍司…のちの箱根駅伝エース、スーパールーキーたちは進学先をどう選んだ?【高校時代秘話】
posted2021/01/03 17:01
text by
酒井政人Masato Sakai
photograph by
Yuki Suenaga
箱根駅伝を目指して本格強化している大学は現在40校ほど。各10人程度のスポーツ推薦枠を持っていることもあり、その枠の人数を確保するだけで約400人もの選手が必要だ。大学からすれば、有望選手を獲得するのは大変な時代になっている。だからこそ、高校時代からキラキラと輝くような活躍をしている選手たちは“争奪戦”になる。
世代トップクラスの選手といえども、不思議なことに10校以上から声をかけられることは少ない。最近は各校が“選手情報”を共有しているケースも多く、無謀な勧誘はしないからだ。大学関係者が高校の監督を通りこして選手と会うことはほとんどないため、監督と選手が相談して、数校に絞り込まれる。以前は選手の進学先を独断で決めるような“剛腕監督”もいたが、近年は選手の希望を尊重する指導者が多い印象だ。
そのなかで箱根駅伝のエースたちは進学先をどう選んだのだろうか。
大学のブランド、練習環境、監督の意向
多くのスター選手を輩出してきた長野・佐久長聖高を例にしてみると、中大に進学した上野裕一郎(現・立大駅伝監督)は家族の意向もあり、大学のブランドが大きかったという。佐藤悠基(現・SGホールディングス)の場合は、「練習環境で選んだ」というが、両角速監督(当時)が自身の出身校である東海大をプッシュしたのは明確だ。村澤明伸(現・日清食品グループ)も同様で、両角監督は村澤が大学3年生になった2011年度から東海大の駅伝監督に就任している。大迫傑(Nike)は当初、実業団を希望していたが、土壇場になって、「世界を目指す」というコンセプトを持つ早大に進路を変更している。
前回の箱根駅伝2区で快走を演じた東洋大・相澤晃(現・旭化成)と東京国際大・伊藤達彦(現・Honda)の場合はどうか。