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藤井聡太の完璧さに「マジック」はない 天才棋士の台頭に思い出す、若き羽生善治の“伝説”とは
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph byShigeru Tanaka/Kyodo News
posted2020/12/23 11:01
羽生善治(左)と藤井聡太。2人の棋士に触れた人々が持つ感情は、尊敬を超えて畏怖の境地ともいえる。
羽生善治という天才を間近に実感
天才とはどんな人なのかを間近で実感したのは、羽生善治だ。
'82年に12歳6級で入会して、'85年12月に四段昇段。筆者はちょうどその時期に、日本将棋連盟が発行している「将棋世界」誌で「奨励会だより」を書かせてもらっていて、そのきらめくような将棋の才能をたっぷりと観察する至福に浸ることができたのだ。
羽生が1級か2級のときに、6級から三段までの奨励会全員を対象に、チェスクロックを使用しての10分切れ負けトーナメントが開催された(スポンサーがついて、ちゃんと賞金もあった)ときのことだ。
決勝の組み合わせは所司和晴二段(のちに渡辺明の師匠になる現七段)対羽生。最終盤で形勢自体も悪かった所司が、最後は時間に追われて銀を横に滑らせてしまう反則を犯して負けとなったのだが、入会僅か1年の羽生の優勝を番狂わせと驚く声はなかった。
正確な指し手を続ける若い子がいる、という噂はすでに上位棋士の間でも囁かれていたのだ。
「将来、必ず価値が出る棋譜」
当時、「奨励会だより」の関西分を書かれていた東和男さん(現八段)が「佐藤康光君(現九段、名人2期)は関西の将棋界を背負って立つ素材だと見込んでいただけに、お父さんの仕事の都合とはいえ関東に移ってしまうのは本当に惜しい」と真顔で話されていたのを聞いていて、2人の奨励会初対局(羽生二段-佐藤康初段の香落ち。羽生勝ち)に張り付いて、全棋譜を掲載したのが思い出深い。
決して広くないスペースに棋譜を羅列したのは後にも先にもこれっきりだったが、「将来、必ず価値が出る棋譜」と書けたのは、新馬戦の時点でスーパーホース出現を予言できたことぐらい、あとになってからうれしかった。