Number Web MoreBACK NUMBER
藤井聡太の完璧さに「マジック」はない 天才棋士の台頭に思い出す、若き羽生善治の“伝説”とは
posted2020/12/23 11:01
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph by
Shigeru Tanaka/Kyodo News
中学生のうちに奨励会を卒業して棋士になった早熟の天才は、将棋史に5人しか存在しない。加藤一二三('54年、14歳7カ月/以下敬称略)、谷川浩司('76年、14歳8カ月)、羽生善治('85年、15歳2カ月)、渡辺明('00年、15歳11カ月)、藤井聡太('16年、14歳2カ月)という面々だ。
どのお顔も、当然のようにタイトル経験者。この中に入って最年少記録を打ち立てた藤井聡太も、間もなくその栄誉を手にすることになるのだろう。
将棋界ほど早熟がもてはやされる世界はない。20代後半ぐらいまでが棋力の伸びのピークとプロ棋士の誰もがそれを実感しており、それまでにどれほど高いレベルの経験を積んだかがその後も含めての棋士人生を決めると信じられているのだ。
中学生棋士は、必然的にピークに至るまでの助走距離を長く取ることができる。強者との実戦がほかの何事にもまさる経験だとするならば、できるだけ早くプロの世界に入ってもまれた方がいいのは当然の理屈だろう。
14歳、15歳という若さで、先輩棋士たちと真剣を交える経験を積み重ねることによる収穫の大きさ。誇張ではなく、寝て起きるたびに強くなるのだ。いや、藤井聡太の場合は息を吸うごとに強くなっているのかもしれない。
同期・谷川浩司の光速流にひれ伏した
筆者は'73年に奨励会に入り、'78年まで足掛け6年の在籍を経験した。
谷川浩司が同期入会だったが、関東と関西に分かれており、そもそも15歳入会と11歳入会なのだから、その時点で格が違っていた。
もちろん、負けるものかという気概は持っていたはずだが、のちの17世名人は僅か3年余で苦もなく四段に駆け上がってしまった。その勝率も凄かったが、ときおり雑誌に紹介されることで目にする将棋の内容も桁違い。のちに光速流と呼ばれることになる、異次元とも思える寄せの速さには、ただひれ伏すしかなかった。