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悲願の花園初制覇へ!公立校を屈指の強豪に育てた御所実業・竹田寛行監督の「秘密の共有」 

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藤島大

藤島大Dai Fujishima

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photograph bySankei Shimbun

posted2020/12/23 06:00

悲願の花園初制覇へ!公立校を屈指の強豪に育てた御所実業・竹田寛行監督の「秘密の共有」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

今年で教師としては定年を迎える御所実業・竹田監督。昨季を含め準優勝は4度、100回大会は悲願の初制覇を狙う

竹田監督が試みた「秘密の共有」

 竹田寛行は徳島県立脇町高校2年でラグビー競技と出合った。天理大学へ進み、No.8などで力を発揮、強豪社会人で活躍の目標はかなわず、奈良県教員となった。

 すぐにラグビーの指導はできなかった。県立大淀高校では強豪サッカー部のGKコーチを務め、ラグビー仕込みの「生タックル」で鍛え上げた。そのころ国見高校の小嶺忠敏監督(当時)などサッカーの一流指導者と接し、一例で「マイクロバスでの遠征試合で勝てばビジネスホテル、負けたら寺の施設に宿泊」というような「やれ、いけ、だけではない」チームづくりを観察している。

 御所工業赴任後にはこんな戯れを試みた。題して「秘密の共有」。部室に隠した布団を教室に運び、持参の食糧を部員と楽しみ、窓を新聞紙でふさいで光のもれぬようにして、学校に無断で一夜を明かす。夜が明けると、なにくわぬ顔で早朝練習に励んだ。新しいクラブには指導者と部員をつなぐ「共感」が必要だった。

 7年目についに奈良県予選決勝で31-15の白星。以後、この領域で上回るという「点」をひとつずつ増やして「線」とした。しだいに戦法のかたよりは消える。いまや御所のグラウンドには全国各地の高校が学びに通う。すでに日本ラグビーの有力なシンクタンクである。

ラグビー馬鹿がなぜ悪い

 教員の定年すなわち指導者引退ではあるまい。コーチングの観点で重要なのは「おしまい」より「はじまり」である。指導者・竹田寛行の価値はいつまでもどこまでも「それでもあきらめない」と決めた出発点にある。

 1995年度につくられた「部歌」を竹田監督が教えてくれた。数学の先生の書いた詞を問答の場でメモした。あまりに印象が濃くて過去に何度かコラムに引いた。ここでも一部を紹介する。

(道標なくした俺たちが)

 いきなりそう始まる。監督は「ま、そんな学校でもあったんです」と唇の端で笑った。

(やっと見つけたこの道で)

 さらに。

(ラグビー馬鹿がなぜ悪い)

 感動した。ちょっとおかしい。そして切ない。どこか悲しくもある。でも透き通っていて、なによりウソがない。忘れがたいクラブソングの最後はこうだ。

(そんな俺たち日本一)

 きっと「そんな俺たち」の意味するところは変わった。現在の御所実業ラグビー部は洗練されている。本年度も「日本一」の資格を堂々と有している。そして、みんなでこっそり夜の教室に寝たころの御所工業もまた「日本一」と声にする資格はあった。どちらも監督は竹田寛行なのだから。 

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