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東京の“消えた野球場” 巨人阪神“伝統の一戦”が誕生したナゾの「洲崎球場」、いまは何がある?
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byKYODO
posted2020/11/21 06:00
伝説の投手・沢村栄治も投げた「洲崎球場」。いまは何があるのか?
この洲崎橋にはかつて「洲崎パラダイス」と書かれた大きな門が建っていた。そしてこれより海側は洲崎遊郭、遊郭街だったのである。洲崎遊郭は、明治半ばに根津にあった遊郭が移転してきたもの。陸地から隔てられている埋立地は遊郭街の移転先にぴったりだったのだろう。かつてこの海っぺりの洲崎遊郭ではしゃいだ男たちがいたことは事実である。洲崎遊郭は戦後もしばらく存続していたが、1957年に売春防止法が施行されたことをきっかけに姿を消し、今ではごく普通の住宅地に生まれ変わっている。
とうとう発見<『伝統の一戦(巨人・阪神)』誕生の地>
そんな古の遊郭跡の住宅地をさらに進む。すると、運河を埋め立てた緑地が途切れたあたりから区割りがだいぶ大雑把になってくる。訪れたのは夕暮れ時、巨大なオフィスビルからは次々に帰宅する会社員たちの姿。それに逆行するように歩いて、洲崎球場の跡を探す。すると、警視庁第九機動隊の官舎の正面に、小さな碑を見つけた。大きく「洲崎球場跡」と書かれ、その下には「『伝統の一戦(巨人・阪神)』誕生の地」。
今ではオフィス街になっているここに、かつて洲崎球場があったのだ。立地としては遊郭街のすぐお隣。試合後に遊郭通いをしていた選手もいたらしい。川崎球場時代の大物野球選手のようなエピソードである。