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涙の始球式「心の170kmは出せた」野球芸人ティモンディが語る上甲野球100カ条と池袋のマクドナルド
text by
谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byKiichi Matsumoto
posted2020/10/26 11:04
収録後にもかかわらず、いつものボリュームで取材に応じてくれたティモンディの2人。始球式の涙を表現した高岸(右)に相方・前田は苦笑い
池袋のマクドナルドで……
それにしても、彼らのストーリーには済美高校以上にサンドウィッチマンの名前が多く登場する。彼ら2人の出会いもコンビ結成もすべてに偉大な先輩が絡んでいる。高岸は芸人の道を志したきっかけを話してくれた。
「野球を続けていた大学時代に怪我して、裏方の仕事を1年間やった時に改めて応援のすごさを感じたんです。済美時代も親元を離れて愛媛にやってきた僕たちを地元の人たちがお父さん、お母さんのようにたくさん応援してくれました。
プロの道をあきらめて退部したのは大学3年の終わりぐらい。野球しかやってこなかった僕ができる仕事ってなんだろうと考えた時、サンドさんが東日本大震災の復興支援する姿を見て、自分もあの人たちみたいに勇気を与える存在になりたいと思ったんです。思えば済美の寮に入寮した日、前田と初めて話したのは(2007年に)M-1で優勝したサンドさんのことでした」(高岸)
プロの道を断念した高岸は、法科大学院進学から法律事務所への就職と将来設計を立てていた前田に「お笑いをやらないか」と声をかけた。「お笑いで食っていくぞ!という確固たる意識はなく、楽しそうだなぐらい」としながらも前田は導かれるように高岸のまっすぐな思いを快諾。2015年1月1日、池袋のマクドナルドで落ち合った2人は、高岸の夢に出てきた「ティモンディ」というコンビ名でオーディション用紙を埋めていった。送り先は“サンドさん”がいるグレープカンパニーだ。
「単独ツアーの前説はそれ以降もやらせてもらっていて、その辺りからサンドさんによくご飯に連れてってもらえるようになりました。富澤(たけし)さんに『お前がちゃんと頑張ればテレビ出れるようになるぞ』って言われて、ハッとしたんです。楽しいだけじゃなく、高岸の良さを見せるようにするにはどうすればいいか考えるようになりました」(前田)
「ブームとかはわかりません」(高岸)
昨今、ぺこぱの全肯定漫才が代表されるように、「誰も傷つけない」「優しい」というお笑いのスタイルが支持を集めている。高岸の“応援”もその象徴と言えるかもしれないが、そういった時代の流れは全く意識したことがないという。
「僕を通して勇気が与えらえていると信じて、応援したり、届けたい言葉を届ける。僕がやりたいことはそれだけなんです。ブームとかはわかりません。話し方も衣装も相手に、より元気が届くように。それが全部の軸になっています!」(高岸)
「高岸のやりたいことを僕がどうすればおもしろくなるかを考える。もし高岸のやりたいことが今と違ったら全く別のスタイルになったと思いますし、時代にマッチしているとしたら、それはたまたま。5年前なら総スカンだったかもしれないですよ(笑)」(前田)