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横山典弘「はっきり言って全然足らない」武史「アドバイスは聞く。でも…」 父子が明かす“3代騎手ファミリー”の親子関係
posted2021/05/20 17:04
text by
藤井真俊(東京スポーツ)Masatoshi Fujii
photograph by
Takuya Sugiyama
名手と謳われた故・横山富雄を父に持つ典弘の三男・武史が今年のダービーで1番人気間違いなしの馬の手綱を取る。そこで、長男・和生も含めて父子3人が一同に会し、存分に語り合った記事を特別に公開する。
初出:Sports Graphic Number 1012号「横山典弘×横山和生×横山武史「横山家、勝負師三代の教え」~受け継がれる遺伝子~」(2020年10月8日発売/肩書等すべて当時)
――JRA初となる父子3代の騎手ファミリー“横山家”。その原点とも言える存在は、典弘騎手の父・横山富雄さんです。
典弘 富雄がいなかったら俺はいないわけで、和生や武史だっていない。みんながジョッキーになったのだってそう。これまでも「いつ騎手になろうと決心したんですか?」なんて聞かれたことがあったけど、そんなもの無い。あくまで自然の流れ。
和生 うん。そうだね。
武史 自然な流れですよね。
和生 口に出して親に伝えたタイミングはあります。でも本当は小さい頃から自然と、いずれは騎手になるって思っていました。
典弘 馬乗りの息子として生まれて、ジョッキーという存在が当たり前の環境だったわけだから。俺が小さい頃はオヤジが負けた時は悔しいし、もちろん勝てばうれしい。自分がオヤジと一緒にレースに乗って、戦ってるイメージだったのかな。これが俺の中では英才教育になっていたのかも(笑)。
人としての作法にはうるさいけど、間違いには寛容
――和生騎手は子供の頃、父・典弘騎手のことをどう見ていましたか?
和生 週末は家にいなかったし、ゴルフばかりやっていたので、プロゴルファーなのかなって(笑)。あとは漠然と競馬場というのは楽しい場所だっていうイメージがありましたね。今でも覚えているのは父が東京競馬場で6連勝した日(2005年11月5日)のこと。僕と武史で内馬場で遊んでいて、勝つたびにウイナーズサークルに行くんですけど、往復が大変で大変で(笑)。
典弘 俺もオヤジのレースを見にいくと、いつも勝っていたイメージがある。何か“見えない力”みたいなものがあるのかな。和生と武史が競馬学校の授業でたまたま見に来たダービーで、両方('09年ロジユニヴァース、'14年ワンアンドオンリー)とも俺が勝ったというのも同じ。こういうことが3代も続くと、単なる偶然ではないような気がするよね。
武史 僕は和生と違って、さすがにゴルフが本業とは思ってませんでした(笑)。ただすごく怖かったです。
和生 確かに怖かった。何だか得体が知れない感じで、競馬の話なんてできなかった。
武史 僕なんて物心ついてからは敬語で話してました。競馬学校に入る前に、乗馬苑で夜遅くなったりしたら、車で迎えに来てくれたりしたんだけど、その車中で二人っきりになるのが苦痛だった(苦笑)。
典弘 ウチのオヤジも怖かったよ。でもそれが自然なんじゃないの? いずれ世の中に出ていく自分の子供に、厳しい経験だったり、辛さだったり、時には嫌なことも教えてやるのが親の役目だと思うんですよ。それが今は子供に気を使いすぎて、「友だちみたいな関係」とかって、どうなのかな。一家の長、リーダー、ボスとして威厳があるべきなんじゃないかなって俺は思う。
和生 小さい頃は食事の作法を厳しく注意されたり、家でゲームをしてたら「外で遊べ」って叱られたりしてました。それも後から考えると良かったなと思えます。今でもよく覚えているのは、自分がやんちゃをして窓ガラスを割った時のこと。怒られるかと思ったら「子供の頃は俺もそういうことあったよ」って言ってくれたんですよね。人としての作法にはうるさいけど、間違いには寛容なんだなって。まぁでも「弁償は自分でしろよ」って言われましたが(笑)。