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アニマル・ウォリアー死去 3年前に語っていた「運命的だった」ザ・ロード・ウォリアーズ結成秘話 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byMoritsuna Kimura/AFLO

posted2020/09/26 20:00

アニマル・ウォリアー死去 3年前に語っていた「運命的だった」ザ・ロード・ウォリアーズ結成秘話<Number Web> photograph by Moritsuna Kimura/AFLO

公式ツイッターで発表されたアニマル・ウォリアーの訃報。武藤敬司ら日本のレスラーたちもSNSなどで追悼コメントを寄せた

来日初戦で実現したアニマル対決

 ロード・ウォリアーズは1985年3月、全日本プロレスに初来日。それ以前から、テレビ東京系『世界のプロレス』でアメリカでの試合が放送され、『フレッシュジャンプ』に連載されていた漫画『プロレス・スターウォーズ』でも主役扱いで登場していたので、すでに人気は沸騰しており、初来日時は社会現象と呼べるフィーバーぶりとなった。

 アニマルはその来日第1戦のことをよく憶えていた。

「来日第1戦の相手はキラー・カーンとアニマル浜口。アニマルvs.アニマルだったんだ(笑)。だから試合前は、『俺が本物のアニマルだ。ヤツはニセモノだ! 俺がオンリーワンのアニマルだってことをわからせてやる!』なんて吠えたんだけど、実際のハマグチサンは素晴らしいレスラーで、素晴らしい人物だった。彼らのようなプロフェッショナルが来日第1戦の相手だったことに感謝しているよ。

 ツアー最終日、スモーアリーナ(両国国技館)でやった、ジャンボ(鶴田)&テンリュー(天龍源一郎)との試合も印象深い。俺たちロード・ウォリアーズがあれだけ長い時間の試合をしたのは、あの時が初めてだったんだよ。アメリカではずっと5分以内で試合が終わっていたからね。彼らのような経験豊富なトップレスラーと長い試合ができたことは、俺たちにとっても自信になった。あのツアーはたった1週間だったが、とてもいい思い出になっているよ」

アニマルが語った成功の秘訣とは?

 その後、ロード・ウォリアーズは全米を飛び回るハードスケジュールの合間を縫って、年2回ペースで来日。ウォリアーズが参戦するシリーズは、それだけで特別なものとなった。

 そして1990年には新日本にも参戦し、武藤敬司&蝶野正洋とも対戦。91年からはWWF所属となり、SWSのリングで天龍&ハルク・ホーガンと夢の対決を行なった。

 ロード・ウォリアーズは日米のファンにもっとも愛されたタッグチームだった。

 アニマル・ウォリアーは自分たちが成功した秘訣をこう語っている。

「成功の鍵は希望を持つことと、ハングリーであること。そして仕事に対しては誠実に一生懸命やること。これはどんな仕事でも一緒だと思う。俺たちの仕事はレスリングだから、常に身体を張った激しい試合をしてきたということだ。そして、そんな俺たちをファンが愛してくれた。あれから何十年も経ったのに、日本のファンがロード・ウォリアーズを憶えていてくれるんだからね。本当に幸せなレスラー人生だったと思っているよ」

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