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アニマル・ウォリアー死去 3年前に語っていた「運命的だった」ザ・ロード・ウォリアーズ結成秘話
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byMoritsuna Kimura/AFLO
posted2020/09/26 20:00
公式ツイッターで発表されたアニマル・ウォリアーの訃報。武藤敬司ら日本のレスラーたちもSNSなどで追悼コメントを寄せた
「ポールは最高の男だ」
こうして飛び抜けたビジュアルインパクトを手に入れ、筋骨隆々の肉体、そして並外れた運動神経も持ち合わせていたふたりだったが、プロレスに関しては、ほぼ素人同然だった。そんなアニマルとホークを、ロード・ウォリアーズという最強のタッグチームに仕上げてくれたのが、マネージャーのポール・エラリングだった。
「ポールは最高の男だ。俺たちが若い頃、彼からたくさんのことを教わった。プロレスの基礎を教えてくれたのはエディ・シャーキーだったが、具体的なタッグの闘い方を教えてくれたのは、すべてポール・エラリングだ。彼は紙に四角いリングを書いて、『ここにホークがいて、相手をロープに投げたら、アニマルはこう動け』など、すべてわかりやすく図で説明してくれた。そして試合のフォーメーションも、1個覚えたら、『じゃあ、次は2個加えてみよう。それができたら3つだ』という感じで、少しずつバリエーションを増やしていってくれた。そうやって、素人だった俺たちに、プロレスの“いろは”を教えてくれたんだよ。ポールは俺たちをうまくコントロールし、引っ張っていってくれた。“ポール・エラリング率いる”ロード・ウォリアーズだったんだ」
「スターになれるなんて思ってはいなかった」
試合はすべて秒殺勝利か反則暴走。キャリアの浅いアニマルとホークに“ボロ”を出させないために、ポール・エラリングが考えた奇策だったが、これが大当たりする。ロード・ウォリアーズは瞬く間に全米のトップスターとなっていったのだ。
「レスラーになったばかりの頃は、自分たちが本当にスターになれるなんて思ってはいなかった。『なんとか家族が生活できるだけのカネが稼げるようになればいいな』と思っていたぐらいでね。ところが、いざスタートしてみたら、あれよあれよと言う間にトップになることができて、何か信じられなかったね。
俺たちがトップに上がっていく頃、ちょうどアメリカではレスリングビジネスの転換期だったんだ。全米にケーブルテレビが浸透し始めて、それまでの常識は通用しなくなっていった。またファン層も入れ替わる時期で、その若いファンたちが、俺たちのようなレスラーを求めた結果だったんだよ。新しいポップカルチャーが生まれる時というのは、そういうものだろう」