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アニマル・ウォリアー死去 3年前に語っていた「運命的だった」ザ・ロード・ウォリアーズ結成秘話
posted2020/09/26 20:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Moritsuna Kimura/AFLO
一世を風靡したタッグチーム「ザ・ロード・ウォリアーズ」の1人、アニマル・ウォリアーが死去したことがわかった。これはアニマル・ウォリアー公式ツイッターが9月22日に明らかにしたもので、死因は公表されていない。
アニマルは、2003年に46歳の若さで亡くなった相棒のホーク・ウォリアーとともに、1980年代から90年代にかけて日米で大活躍。“タッグ屋”としてはプロレス史上、最も成功したコンビであり、その意味で、史上最高のタッグチームと呼んでいいだろう。
筋骨隆々の肉体に、独特の顔面ペインティング。ブラックサバスの『アイアンマン』のテーマ曲に乗って疾風のごとくリングに登場すると、ゴングと同時に対戦相手を支配し、最後は必殺の合体技ダブルインパクトであっという間に秒殺する。
その圧倒的な強さとキャラクターは、アメリカンプロレスの流れを変え、80年代後半の新たなカルチャーとなった。
ボクは3年前、アニマルが来日した際にロングインタビューをしている。その時の言葉とともに、ロード・ウォリアーズの歩みをあらためて振り返ってみたい。
「いま思い返すと、俺たちは予言書にもともと書いてあったストーリーをなぞって生きていたんじゃないかと思うよ。それぐらい運命的だった」
アニマルはロード・ウォリアーズの物語をそう語る。
夢のフットボーラーか、金のレスラーか
アニマルとホークのふたりは、もともとミネソタ州ミネアポリスのバー「グランマ・ビーズ」で用心棒をやりながら、ウェートトレーニングに明け暮れていた、トレーニング仲間。アニマルはプロレスラーではなく、プロフットボーラーを目指していたが、「グランマ・ビーズ」のバーテンだった元プロレスラーのエディ・シャーキーにスカウトされ、ホークとともにプロレスのトレーニングを受けることとなる。
「当時、俺は19歳だったんだけど、すでに息子がいたんだ。だからカネを稼ぐ必要があった。そこでアメリカンフットボールという夢を選ぶか、プロレスでカネを稼ぐかを考えた時、チャンスがあるのはプロレスの方だと思ったんだよ。エディからも『おまえらなら、絶対にプロレスで稼げる』と言われたからね。それで決心がついた。だから俺はプロレスラーに選ばれたんだと思っているよ」