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“J5”監督挑戦、岡山一成「指導者って夢がある」 コロナ禍と雷の記憶、鬼木達の助言
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2020/09/16 17:05
VONDS市原の監督に就任した岡山一成。新型コロナウイルスの影響について触れつつも、JFL昇格への意欲を語った。
川崎時代から慕う鬼木監督の意外な言葉
新型コロナウイルスが蔓延し、4月5日に予定されていた関東1部リーグの開幕戦は延期となり、チームの練習も休止。先の見えない状況に陥ったのだ。
「でも、ここには専用のグラウンドもあるし、僕は練習をやりたかったんですよ」
勝負の1年が始まるまでに、少しでもコンビネーションを磨き、戦術を浸透させたいと思うのは、新指揮官として自然なことだろう。そこで岡山は、現役時代から慕う川崎フロンターレの鬼木達監督に相談の連絡をした。
「鬼さんなら、僕の気持ちを分かってくれると思ったんです」
ところが、鬼木から返ってきたのは、岡山の期待とは正反対の言葉だった。
「『昔、オカがフロンターレの選手だったとき、雷が鳴ったら、どうしてた?』って言われて」
実は岡山が小学生の頃、近くの寝屋川市の小学校で落雷による児童の死亡事故があった。それを知った岡山少年は大きなショックを受け、雷恐怖症となった。そのため、川崎時代、練習中に雷が鳴ると監督の許可なく、一目散に避難していたのだ。
当時の川崎には練習中に雷が鳴った際の規定がなかったが、岡山の事情を知ったキャプテンの鬼木が石崎信弘監督と話をして、雷が鳴ったら即撤収というルールを作ったのである。
「鬼さんが言うんですよ。『キャプテンとして最初、そこまで考えが及ばなかったけど、オカの話を聞いて、ひとりでも身の危険を感じるやつがいるなら、サッカーをやっている場合じゃないなと思った』って。『監督がやれ、と言ったら選手はやらないといけないんだぞ』と言われて、気づきました。やるべきじゃないなって」
川崎はかなり早い段階から全体練習を中止していたが、VONDS市原もそれに倣って活動を休止にしたのだった。
待望の初戦で「心臓バクバク」の初勝利
待ちに待ったリーグ戦の初陣は、7月12日の流通経済大ドラゴンズ龍ケ崎戦だった。押し込まれながらも“岡山VONDS”は虎の子の1点を守り抜き、勝利を挙げた。
「甘くなかったですね。本当に苦しみました。去年、アンリミでドラゴンズと対戦しているから、1点取ったら2点、2点取ったら3点取りにくるチームだということは分かっていた。だから、もし追いつかれたら、逆転される可能性もあった。そこで『もう1点取りに行きたい』という選手もいたんですけど、僕はあえて守り切るほうを取った。ここを1-0で乗り切れるかどうかは、今後モノを言うと思ったので。もう心臓がバクバクでしたよ。最後は5-4-1のベタ守りで、なんとか凌ぎました」
続くCriacao Shinjuku戦では、さらなる困難が待っていた。