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内田篤人32歳、現役引退を表明。復帰当初に語った古巣・鹿島への特別な思いとは?
 

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photograph byToshiya Kondo

posted2020/08/20 19:00

内田篤人32歳、現役引退を表明。復帰当初に語った古巣・鹿島への特別な思いとは?<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

2009年J1第34節浦和戦で勝利し、Jリーグ3連覇に貢献した内田篤人。シーズン中の異例の引退発表となった。

 8月20日、元サッカー日本代表の鹿島アントラーズDF内田篤人(32歳)が現役引退を表明した。ホーム・カシマスタジアムで行われる23日のJ1第12節ガンバ大阪戦がラストマッチとなる。

 2006年に清水東高校(静岡)から鹿島に加入した内田は、ルーキーシーズンからいきなり開幕スタメンを勝ち取るなど早くから才能が開花。右サイドバックを定位置とし、リーグ3連覇に貢献した。その後'10年にはブンデスリーガのシャルケへ移籍し、CLでは4強入りを経験。

 '07年にはU-20W杯、'08年には北京五輪、日本代表では2度のW杯に出場。W杯を率いた岡田武史監督には「ボールの置き方に、今までの日本人にないものを感じる」と高い評価を受けるなど、日本代表の活動でも長らく存在感を発揮した。

 '18年には鹿島に復帰。当時の取材では古巣への愛着とJリーグに戻る意義を語っていた。

「シャルケに行く前から、年齢的にも体が動くうちに鹿島に戻ってきたいと思っていたから。だって、もし俺が小学生だったとして、シャルケでやっていた日本人が鹿島でプレーするとなったら、見に行きたいって思うじゃん。今、(香川)真司や長友(佑都)さん、本田(圭佑)さん、長谷部さんとかがJリーグに帰ってきたら、絶対スタジアムに見に行くもんね」(2018年/Number961号より)

 以前の雰囲気とは異なる覚悟を滲ませるプレーや言動は際立っていた。だが一方で'15年の右膝の手術以降、怪我が続き、リハビリと復帰を繰り返す苦しい時間を過ごしてきた。

「僕はJリーガーになりたくてサッカーをしてきました」

 昨年、NumberWebの取材では「怪我をするたびに思うんだけど、チームを離れたくないなって。(監督・大岩)剛さんも(強化部長・鈴木)満さんも、“何をしてるんだ”って思っているだろうし、なによりいつも一緒にやってないと、周りに思ったことを強く言えないんだよね。監督とかスタッフはそれでも周りに言ってくれ、っていうんだけどねえ……」と、もどかしい気持ちを吐露していた。

 さらに「リハビリやっててさ、若い奴らと練習してたりするとさ、やっぱり紅白戦とかちゃんとやってるやつじゃないと発言権ってないよな、って思うんだよ」「今の俺に文句言える人っていないんだよね。わがままを言えちゃう。だからその分、気をつけないと。もし俺が若手だったら『何言ってんだ、お前』って(先輩に)言ってもらって、それで終わりだと思うんだけど、そうもいかないしさ」と、有望な若手選手が揃うチームの中で葛藤があることも話していた。

 今季はリーグ戦出場1試合にとどまり、唯一の出場となった7月4日の川崎フロンターレ戦後には「僕はJリーガーになりたくてサッカーをしてきました。ここまで長い中断は初めてのこと。ここからは新しい歴史を作る気持ちだ。僕らが止めてはいけないという気持ちで試合に入った。のに、内田は……はぁっていうプレーを前半にやってしまった」と自身のプレーを猛省。鹿島との契約を残しながらも14年半の現役生活にピリオドを打った。

 スピードと高い技術は日本に新たなサイドバック像を築き、また飄々とした言動や爽やかなルックスでもメディアを賑わせた。サッカー界きっての人気者のラストダンスを、ぜひこの目にしっかりと焼き付けたい。

 

内田篤人(うちだ・あつと)
1988年3月27日、静岡県出身。176センチ、67キロ。

<主な成績>
J1通算
147試合出場、3得点
ブンデスリーガ(ドイツ)
104試合、1得点
日本代表
74試合、2得点

<国内獲得タイトル>
Jリーグ優勝3回
天皇杯優勝1回
AFCチャンピオンズリーグ優勝1回
ゼロックススーパーカップ優勝2回
ベストイレブン2回

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