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34歳福澤達哉がパリ・バレー再挑戦。
選手、父として完全燃焼する姿を!
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byTakahisa Hirano/AFLO
posted2020/08/13 20:00
昨季に続き、今季もパリ・バレーでプレーする福澤。9日、現地へと出発した。
オリンピックの存在は大きい。でも……。
五輪を目指すアスリートにとって、来年、東京五輪が開催されるかどうかということは、今もっとも大きな不安の種だろう。東京五輪を現役生活の集大成と考えている選手にとってはなおさらだ。
福澤は、中央大学4年だった2008年に北京五輪に出場し、その後、代表の中心選手となったが、2012年ロンドン五輪、'16年リオデジャネイロ五輪と2大会、出場権に届かなかった。五輪には強い執念を持っているが、今、達観したようにこう語る。
「ある種、(東京五輪が)ないかもしれない、ということに対する覚悟というのは、しているかもしれないですね。
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もちろん、無事に収束して、来年の夏に開催されるというストーリーがベストですけど、そこに関しては誰もわからないですから。刻一刻と状況が変わっている中で、スポーツ界だけじゃなく、経済界も、日常生活も、みんなが手探りの状況ですからね。そこはどれだけ考えても答えは出ないという中で、この1年は過ごさないといけない。
自分のバレー人生の中で、オリンピックサイクルというのはすごく大きなものです。本気でバレーボールに向き合うきっかけになったのが北京五輪で、あそこが僕のキャリアのスタートだと思っていますし、東京五輪がなければ、もしかしたらリオで引退していたかもしれない。それだけオリンピックというのは、自分の中で大きな存在です。
でも、『オリンピックがすべてじゃない』というのも、並行して自分の中にあるんです。『自分がバレーボールをしている理由ってなんだろう?』と考えた時に、やっぱり自分の限界がどこにあるのか、バレーを通してどこまで成長できるのか、その先にどういう答えが待っているのかを知りたいから。そこにフォーカスした時には、あくまでオリンピックはその中の一部です。
もしも(東京五輪が)なくなったとしたら、当然、喪失感はものすごいと思います。でも、そこまでの、自分がどう戦ったのか、どういう選択をしてきたのかというプロセスは、無駄になることはないのかなと思っています」
「父親として、すごく嬉しいこと」
それでも……。覚悟はしていても、やはり願うのは、ちゃんと完結を迎えられることだ。妻や4人の娘たちの顔を思い浮かべると、福澤はこう望まずにはいられない。
「最終的に、『なぜお父さんはフランスまで行ったんだろう?』っていう、その答えを、東京オリンピックという舞台で見せられたら、父親として、すごく嬉しいことだなと思います」