酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
松井秀喜がもし巨人ひと筋だったら。
日本人年間50発、MLBで減った三振。
posted2020/06/12 07:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kyodo News
6月12日は、松井秀喜の46回目の誕生日だ。平成の大打者もアラフィフである。
5年ほど前に、筆者は明徳義塾高校の馬淵史郎監督に取材をしたことがある。「野球離れ」について聞いたのだが、馬淵さんは「ま、松井秀喜の時はいろいろあったんだよ」と自ら切り出した。1992年夏の甲子園での5敬遠について、相当聞かれたんだろうな――と思うとともに、松井秀喜という野球人が高校時代から巨大な存在だったことに今さらながら思い至った。
野球史で見ると、松井秀喜は「時代の転換点にいた大打者」だと言える。
このコラムでも何度か触れたが、1988年に東京ドームが開場して以降、日本プロ野球の本拠地球場は大型化する。これまで両翼90m中堅110mが標準だった日本のスタジアムは、MLBとほぼ同じ両翼100m、中堅120mがスタンダードになるのだ。
王貞治がハンク・アーロンの755本を抜く本塁打を打った時に、アメリカだけでなく日本のファンからも「球場の大きさが違うから、比較できない」という声が上がった。しかし1990年代中期には、球場の大きさという格差はほぼ解消した。
1990年以降で年間50本塁打の面々。
松井秀喜は1992年のドラフト1位で巨人に入団。彼がプレーしたのは、ほとんどがMLBと同サイズのスタジアムだった。昭和の時代にはよくあった100m以下のホームランはほぼ絶滅した時代にバットを振った。
<1990年以降、シーズン50本塁打を打った打者>
60本 W.バレンティン(ヤ)2013年
55本 T.ローズ(近)2001年
55本 A.カブレラ(西)2002年
51本 T.ローズ(近)2003年
50本 松井秀喜(巨)2002年
50本 A.カブレラ(西)2003年
松井秀喜は球場が大型化して以降、50本塁打を打った唯一の日本人選手なのだ。これに続く日本人の記録は、2009年と'11年に西武の中村剛也が打った48本だ。
つまり松井秀喜は、外国人並みの長打力を持った初めての、そして今のところ唯一の日本人打者だと言える。