熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
増田明美を救ったブラジル名伯楽が
説く、日本特有の悲壮感からの脱皮。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byShinichi Yamada/AFLO
posted2020/05/20 19:00
ロサンゼルス五輪前に苦悩の時を過ごした増田明美。オリベイラ氏との出会いが彼女のスタンスを変えたのは間違いない。
責任感の強さゆえ、力みすぎ?
日本でも指導歴があるブラジル人のフットボール指導者はこう語る。
「日本人は責任感がとても強いから、周囲からの期待に応えようと必死になる。しかし、そのことで身体に余計な力が入り、大事な試合で実力以下のプレーしかできないことが少なくない。
これに対して、ブラジル人も周囲からのプレッシャーを感じないわけではないが、日本人ほど堅苦しく考えない。ある意味で少し無責任で『結果を恐れず、思い切ってプレーするだけだ』と割り切る。そのことが相手の予想を覆すプレーとなり、ゴールに結びついたりする。
日本の場合、本人よりも指導者など周囲の人に問題があることが多い。『あまりにも大きなプレッシャーを与えることは、決して良い結果を生まない』ということをよく理解し、選手が実力を出し切れるような環境を整えてあげるべきだろう」
近年は、日本でも五輪やワールドカップなどの大舞台を前にして、「楽しんできます」という意味の発言をするアスリートが増えた。また、そのような発言が批判されることも少なくなったようだ。
それでも、過剰な期待やプレッシャーに悩まされて力を出し切れないアスリートがまだいるのではないか。
オリベイラ氏や前述のブラジル人フットボール指導者が指摘するように、日本の指導者や組織は選手に過大な期待やプレッシャーを与えることがないよう、アスリートを守ってもらいたい。そして、アスリートの方も自分に最も適した環境や指導者を選び、楽しみながら、幸せを感じながら競技生活を続けてもらいたい。
「アケミは十分頑張った。ただ……」
最後に、オリベイラ氏に、19歳で日本記録にして世界ジュニア記録(結果的にこれが自己ベストとなった)を樹立しながら、20歳で臨んだ五輪で途中棄権し、28歳になったばかりで引退した増田明美さんのキャリアをどう考えるか尋ねた。
「19歳で世界ジュニア記録を出したのだから、素晴らしい素質の持ち主だったのはまちがいない。
20歳で迎えた初の五輪では良い結果を出せなかったが、本当は24歳で迎える1988年ソウル五輪と28歳で迎える1992年バルセロナ五輪でキャリアのピークを迎えることができたはず。そう自覚していたら、ロサンゼルス五輪での失敗を飛躍への踏み台にできたのではないか。
アケミは、十分頑張った。彼女を責めるつもりは全くない。
ただ、彼女の周囲の人々が過剰な期待やプレッシャーをかけず、彼女が最も効果的なトレーニングを続けることができていたら、さらに輝かしいキャリアを築けていたのはまちがいない」