“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
J1札幌内定の2mGK中野小次郎。
伸び続ける身長に悩み苦しんだ過去。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/05/19 11:40
来季からJ1札幌へ加入が発表されている法政大4年中野小次郎。日本待望の大型GKだ。
苦しむ中野を救った言葉。
中学時代は「まだここから巻き返せる」と余裕があった。しかし、高校に上がり、プロを目指す上での時間的な猶予が刻一刻と減っていくのがわかると、それが焦りを生み出した。徐々に高すぎる身長がコンプレックスに変わり、周囲の雑音にも敏感になっていった。自分が試合に出た時に、少しでもミスをしたら「あいつやっぱりでかいだけだ」と言われることへの恐怖心すらあったという。
傷つく自分を守るように「それでもこうしてヴォルティスで毎日練習できているし、ナショナルトレセンにも入っているのだからまだ大丈夫」と自分に言い聞かせていた。
この苦しみから彼を救ってくれたのが、当時徳島ユースのGKコーチだった上野秀章氏の厳しくも愛情に溢れたひと言だった。上野は2009年から'11年まで徳島でプレーして現役を引退すると、翌'12年から徳島のサッカースクールスタッフに就任。中野が高2のときにはユースのGKコーチに就任していた。
高校2年の最後の練習日。明日からオフに入る状況で上野は中野を呼び出し、厳しい表情でこう告げた。
「これまでは将来性を見越して色々指導をしてきたけど、今の状況だったら本当に終わるよ」
衝撃だった。中野の心の奥底に響く重い言葉。同時に自分のこれまでの姿が脳裏に浮かび上がってきた。
「上野コーチに直球で指摘されたことで、目が覚めたというか、『俺、何やってきたんだ』と思いましたね。これではプロはおろか、これから先サッカーを続けられないまま消えてしまうと思ったので、高3の1年間は死ぬ気でやろうと思いました」
それまでも決して腐っていたわけではない。コンプレックスに苦しみ、必死で自分を落ち着かせていただけだった。だが、上野のひと言は「そんなことにとらわれずに自分のプレーに必死になれ」という強烈なメッセージだった。彼の成長曲線はここから急激に上がっていく。「周りの目を避けていたらサッカー選手として終わる。失敗への恐れが減って、チャレンジャー精神が湧いた」と、縮こまっていた自分に別れを告げた。
トレーナーも驚くポテンシャル。
顔を上げた彼に家族も協力してくれた。両親が県内で活躍するパーソナルトレーナーを探し出し、ユースの練習後にジムに通う日々がスタートした。
「トレーナーさんが僕の身体を見た時に『こんな高い身長なのに、ここまでバランスのとれた身体は見たことがない』と言ってくれたんです。『大きな人は手が長かったり、顔が大きかったり、全体のバランスが悪い傾向があるけど、君にはそれがない』と褒めてくれて、凄く嬉しかったのを覚えています」
身長以外を初めて褒められた。自分を肯定してくれるコーチ、トレーナーに囲まれ、反骨心と向上心に火がついた中野は黙々とトレーニングに打ち込んだ。
「徳島ユースの練習では上野コーチの話をしっかりと聞いて、『絶対に俺が試合に出る』という気持ちで臨みました。ジムではトレーナーに呼吸を学んだり、インナーマッスルや腹直筋、腸腰筋、大臀筋などを鍛えて、身体をスムーズに操作するためのトレーニング。これを繰り返していくうちに日に日に自分の身体が思うように動くようになって行ったんです。自分が遮断機のような動きではなくなっていく手ごたえを感じました」