“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
J1札幌内定の2mGK中野小次郎。
伸び続ける身長に悩み苦しんだ過去。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/05/19 11:40
来季からJ1札幌へ加入が発表されている法政大4年中野小次郎。日本待望の大型GKだ。
身体を思うように扱えなくなった。
中学進学とともに、憧れの徳島ヴォルティスのジュニアユースに加入。だが、レベルがぐっと上がったことと前述した通りの急激な成長期を迎えことで、あらゆるバランスが一気に崩れていった。
「急激に身長が伸びて、だんだん身体が思うように扱えなくなった。自分の中では素早く反応して飛びついているつもりでも、スムーズに身体が動かず、(セービング時は)まるで遮断機のように倒れるような状態でした。特に中3の1年間は10cmも伸びたことでより難しくなりましたし、右太ももの大きな怪我を負ったことで半年くらいプレーできなかった。
思うようにプレーできない悔しさがありましたが、正直、僕は自分に実力があるとは思っていませんでした。『大きいからヴォルティスに入れている』、『大きいからトレセンにも選ばれている』と。周りのコーチの人たちは、下手だけど高さを見込んで一生懸命教えてくれるんだなと思っていました。なので中学時代は『すぐに花開くことはないから地道にやろう』と思って受け入れていました」
「もうこれ以上伸びないでくれ」
中学3年間でレギュラーを掴むことはできなかった。それでも190cmという魅力的なサイズと将来性を買われた中野はユースに昇格する。しかし、またしても高校で大きな壁に阻まれる。
「身長が190cmを超えたあたりから、自分の高さがコンプレックスに感じるようになっていきました。ユースに上がっても試合には出られないし、身体も思うように動かない。何より、身長の伸びが一向に止まらない。高2の時に195cmを超えたのですが、さすがに『もうこれ以上伸びないでくれ』と切実に思っていましたね」
当時の徳島ユースには各学年に1人ずつGKがいた。レギュラーは3年生GKだったが、ベンチ入りは、中野ではなく1年生GK。つまり3人しかいない状況下で第3GKだった。自分を責めるのも無理はない。
「高2の時は一切怪我をしていないのにベンチ外。周りからは『あいつでかいだけじゃないか』という声も耳にしました。これまでもそういう声はあったのですが、この時はよりたくさん入ってきました。『そんなことを言わないでくれ』って思っていましたね。でも一方で試合に出ることが嫌だったんです。プロになりたい気持ちはあったし、少しは自分に期待をしていましたが、この時は正直、精神的に一番辛い時期でした」