メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
松井秀喜の打球が失速するとは。
3Aでの一打、引退後に聞いたこと。
text by
四竈衛Mamoru Shikama
photograph byYukihito Taguchi
posted2020/05/14 11:30
2012年5月17日、4打席目で中飛を打った瞬間の松井秀喜。この試合の約半年後、日米での偉大な球歴に終止符を打つ。
松坂との対決が注目される中で。
実は、この試合。右肘のトミー・ジョン手術からリハビリ中だったレッドソックス松坂大輔(現西武)との直接対決が、大きな注目を集めていた。
いつもはのどかなマイナーの地方球場が、日米報道陣でごった返し、近郊から多くの日本人ファンが詰め掛け、同年同地では初のチケット完売となる1万64人の観客が見守っていた。
2人の対決結果は、計3打席で2打数無安打(打撃妨害1)。6回裏、松井の次打者に3ラン本塁打を浴びた松坂は敗戦投手となり、2人の対決だけにフォーカスすれば、痛み分けのような雰囲気が漂っていた。
だからこそ試合後の松井に対し、松坂との対戦ではなく、真っ先に第4打席の中飛について確認せざるを得なかった。松井の反応は、直前までモヤモヤしていた胸騒ぎを確信に変えた。
「感覚的には行ったかなと思ったんですが、なぜかもうひと伸びしなかったですね」
心なしか自嘲気味に聞こえたが、その目はまったく笑っていなかった。その後、報道陣の質問は、松坂との対戦や調整具合などに移り、その中飛は、よくあるひとつの凡打として行間に消えた。
感覚的に“行ったはず”の打球が。
だが、それまでプロで500本以上のアーチをかけてきた松井が、感覚的に「行った」と思えた打球が、フェンスを越えなかった事実から目をそらすことはできなかった。
感覚のズレ、イメージとのギャップ。
この時、松井37歳。
ついに「その時」が近付いてきたと、心の準備を始めた瞬間だった。
前年オフにFAとなり、移籍先を探していた松井は、自宅のあるニューヨーク近郊の一般向けバッティングケージなどで独自トレーニングを続けていた。日本球界復帰も取り沙汰される中、開幕後の4月末にレイズと契約。キャンプ地フロリダでの調整に入り、その後、3Aでの実戦段階へ移行していた。
「失速した一打」は、その間のひと振りだった。