水沼貴史のNice Middle!BACK NUMBER
井原正巳の献身とジョホールバル。
1998W杯予選、解説席からの記憶。
text by
水沼貴史Takashi Mizunuma
photograph bySports Graphic Number
posted2020/04/17 11:30
岡田武史監督に岡野雅行、カズ……彼らを最終ラインで支えたのが主将の井原正巳だった。
本当のキーマンは、井原だった。
難局を潜り抜けて初のW杯出場を掴んだわけですが、この予選を通したキーマンを挙げるとすれば――実は井原(正巳)だった、と今でも思っています。当時のチームは前線に多くのタレントが揃っていただけに、最終ラインを統率する彼へのプレッシャーも大きかったと思います。
井原はあまり表情を変えずにプレーすることもあってクールな印象が持たれがちですが、どちらかと言えばファイタータイプ。警告は少なかったですが、見えないところで激しいプレーをする嫌らしいディフェンダーでした。
先日、Jリーグの開幕戦(横浜マリノスvs.ヴェルディ川崎)が再放送されましたが、当時の井原のプレーを見ても、改めて素晴らしい選手だなと感じました。1人でラインコントロールして、カバーもする。元イタリア代表のバレージのようにアグレッシブで、「アジアの壁」というニックネームにふさわしい選手です。
個性的な面々を最後方から支えたプレーぶり。それとともに、この予選では井原から“先輩たちから受け継いできたものを無駄にしない、つなぐ”という頼もしさを感じたんです。
テツやラモスさん、先輩の思いを。
井原は1990年イタリア大会、'94年アメリカ大会予選も参加していて、W杯を懸けた戦いはこの時が3度目。日本代表というカテゴリーで、悔しい思いを何度も経験し、最後の最後で実を結んだ形となりました。
ドーハの悲劇を共に味わったテツ(柱谷哲二)やラモス(瑠偉)さんらの思い。もっと言えば、'86年と'90年W杯の予選、ソウル五輪の予選と、私たちがあと一歩のところで成し遂げられなかった悔しさにもつながっています。
世代交代して臨んだ90年W杯予選、その若手たちが経験を積んで成長したタイミングで挑んだ'94年W杯予選。Jリーグ開幕で選手の意識が変わり、そこからまた新しい選手が加わって迎えたのがこの1998年大会予選でした。
もちろん、それぞれがW杯に出たいという気持ちでプレーする。でも井原を含めた悔しさを身をもって味わってきた人間がチームにいたことは大きかったと思います。だからこそ、W杯の切符をつかめたわけです。そして、あの勝利が現在のサッカーに繋がっている。そんな伝統がW杯にはあると思います。