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井原正巳の献身とジョホールバル。
1998W杯予選、解説席からの記憶。 

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水沼貴史

水沼貴史Takashi Mizunuma

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posted2020/04/17 11:30

井原正巳の献身とジョホールバル。1998W杯予選、解説席からの記憶。<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

岡田武史監督に岡野雅行、カズ……彼らを最終ラインで支えたのが主将の井原正巳だった。

岡田さんにしかできなかった役割。

 あの最終予選は本当に厳しい戦いの連続でした。

 国立競技場での韓国戦で山口(素弘)が見せたループシュートは大きな期待を感じさせるゴールでしたが、逆転負け。悪い流れを断ち切れないまま、中央アジア遠征に出発。そこで待ち受けていたのは加茂(周)さんの更迭。一体何が起こっているのか、状況を掴むだけでも大変でした。

 後任を託された岡田(武史)さんはヘッドコーチとしてチームに同行していましたが、当時はJクラブを率いた経験もなかった。そんな状況下でW杯出場が懸かる日本代表監督の仕事が巡ってきたわけですから、半端じゃない葛藤があったと思います。それに加茂さんへの忠誠心も強かったですからね。

 でも、引き継いだあとの切り替えはすごかったです。監督と選手の橋渡し役だった岡田さんの呼び名も「岡ちゃん」から「岡田さん」に変わり、ムードがガラッと変わりましたから。あの役割は岡田さんにしかできなかったと思います。

敵地の日韓戦勝利は“あの時”以来。

 ただ、ホームでのUAE戦に引き分けた時は崖っぷちでした(※呂比須ワグナーのゴールで先制したものの、1-1のドロー。第3代表決定戦に進める自力でのグループ2位がこの時点で消滅)。出演していた『スーパーサッカー』のプロデューサーさんと「まずいことになったね」と話していたことが懐かしいです。

 2002年日韓大会を控えて、「W杯を経験しない国がホストなんてありえない」という風潮もありました。

 さらにその後に控えていたのは1位通過を決めていた韓国戦というのも危機感を煽りました。アウエーでは(木村)和司さんと私が決めて勝利した、蚕室(スタジアム)のこけら落としの試合(1984年9月)以来勝っていませんでしたから。憤るサポーターからパイプ椅子が飛んできたのもこの頃ですね。

 それでも、名波(浩)と呂比須のゴールで韓国を破った。W杯出場がここで途絶えてしまう可能性もあった中、競り勝ったことでチームがグッとまとまるきっかけになった。カザフスタン戦に連勝し、いいムードで乗り込んだのがジョホールバルでした。カズ(三浦知良)とゴン(中山雅史)の2枚替えなど、岡田さんの大胆な采配にも覚悟が伝わってきました。

【次ページ】 本当のキーマンは、井原だった。

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