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なぜコービー・ブライアントは特別か?
「最も身近なスーパースター」の死。
text by
長澤壮太郎Sotaro Nagasawa
photograph byGetty Images
posted2020/04/12 19:00
ロサンゼルスの街に画かれたコービー・ブライアントの壁画。その姿には聖人のごとく後光が――。
プライバシーのすべてが掘り起こされる人生に。
不祥事として有名なのが、2003年に起きた、コロラドでのホテル従業員の女性から起訴された性的暴行事件。
また、当時レイカーズのチームメイトだったシャキール・オニールとの不仲報道は、一気に世界中が知ることにもなりました。
時代の現れか、コービーとシャックの不仲の経緯は、それ専用のウィキペディアのページが今でも存在しているほど話題になりました。
コービーはスーパースターだったけれども、聖人君子ではありません。どんな人間でも間違いは起こします。ただその度に、過ちを教訓とし、より良い人間として成長できるように努力をしていたことも、現地のメディアや関係者は認識していました。
スキャンダラスなニュースのように派手に報道はされていませんが、コロラドの事件以降、コービーは何度も女性保護団体などを訪れ、女性の立場や女性への理解や知識を深める努力をしていました。その後、WNBAの一番の支持者ともなりました。
また、感情的になって審判へ同性愛嫌悪的発言をしてリーグから処分された際も、同性愛保護団体との会話を通して、自分の無知さ、愚かさを学び、のちにゲイヘイトをしたファンをネット上で正す行動にでました。
このように、彼も我々と同じように1人の人間として、壁にぶち当たりもがきながら成長し、未熟な若者から4人の子供を愛する家庭想いな父親になりました。
今回の事故で我々に更なるショックを与えたのは、事故で命を奪われた9名の中に、コービーの次女ジジちゃんが含まれていたことです。
コービーが選んだ人生の第二章。
20シーズンに渡って世界中のファンの期待に応えてきたコービーが、引退後一番大切にしていたのが、家族とより多くの時間を過ごすことでした。
引退後の生活は、レイカーズやNBAとの関わりよりも、別事業の立ち上げを優先にし、全ての時間を家族優先に組み立てていました。皮肉にも、仕事と家族の両立を考え、一番無駄なく移動できる手段を模索して辿り着いた答えが、日々のヘリコプターでの移動でした。
NBAの現場やアリーナでの観戦からあえて距離を取っていたコービーが、再び試合会場に足を向けるようになったきっかけが、ジジちゃんのバスケットボールへの情熱でした。
それを受けて、コービーが自身のマンバアカデミーで彼女を直接指導し、一番可愛がっていたとも言われています。
事故の当日も、娘さんとそのチームメイトや保護者を乗せて、試合会場に行く最中でした。