相撲春秋BACK NUMBER
朝乃山の大関昇進は大阪で……。
元朝潮・高砂親方、3度目の涙。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byKyodo News
posted2020/03/31 11:30
自身と縁深い大阪の地で、愛弟子の朝乃山の大関昇進の伝達を受ける高砂親方。
「相撲を愛し、力士として正義を」
かつて、親方と朝赤龍が涙にくれる姿を目にして号泣した朝弁慶は、この大阪場所で再々十両昇進を決めた。現在は錦島親方となり師匠を補佐している元朝赤龍はもちろん、部屋の栄枯盛衰、喜怒哀楽を分かち合って来た兄弟子や弟弟子たちに見守られ、当時の石橋――朝乃山は、晴れて金屏風を背にした。
大関昇進伝達式、当日。母校富山商業高校の校訓「愛と正義」、子どもの頃から好きだった言葉だという「一生懸命」も盛り込んだ新大関の口上は、
「大関の名に恥じぬよう相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」
37年前、同じ宿舎の寺で使者を迎えた師匠の口上にも、「一生懸命」との4文字があり、これはたまたまの偶然だったと師弟ともにいう。
「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」の思い出。
式に欠かせない金屏風や赤い緋毛氈、乾杯のビールや祝い鯛。その準備に、部屋のマネージャー、行司や呼出したちが奔走する。相撲界では、本場所後1週間は休日なのだが、もちろん“うれしい休日返上”だ。伝達式が終わると紋付き袴姿の新大関が、行司や呼出しに歩み寄って来た。
「場所後なのに、いろいろ準備していただきありがとうございました。これからもよろしくお願いします!」
そう頭を下げ、感謝の言葉を口にしたという。思い返せば、かつて高砂親方がこう言っていたことがある。
「朝青龍が横綱になった時、『実るほどこうべを垂れる稲穂かな』ということわざを例えに出して教えたんだ。地位があっても謙虚でいなきゃいけないぞ、という意味でね。でも、考えたらモンゴルには田んぼがないんだもの、そりゃ意味もわからないはずだよなぁ。あっはっは!」