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“石の拳”シカティック逝去。
戦士としての人生と死闘秘話。 

text by

布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

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photograph bySusumu Nagao

posted2020/03/25 20:30

“石の拳”シカティック逝去。戦士としての人生と死闘秘話。<Number Web> photograph by Susumu Nagao

1993年の第1回「K-1 GRAND PRIX」を制覇したブランコ・シカティック。他の格闘家とは異なるオーラを放つ“軍人”だった。

本業は、特殊コマンド部隊の教官。

 この時、シカティックの本職は母国クロアチアの特殊コマンド部隊の教官だった。

 クロアチアはユーゴスラビアから独立して2年しか経っておらず、独立紛争の真っ只中。その凍てつくような青白い光を放つ眼光は、個性派揃いのK-1の中でも異彩を放っていた。

 シカティックが何度も戦地に赴き、実際に戦闘に加わっていたことを聞いたのはあとになってからのことだ。

重傷を負っても試合を続行した男。

 金のために闘う男ではなかった。

 K-1優勝でシカティックは優勝賞金10万ドル(当時のレートで約1100万円)を手にしたが、そのうち半分は自分の部隊が所属する同国の軍隊に、残りの半分も所属するチャクリキに寄付すると発言して周囲を驚かせた。

 根性は他の選手の何倍も感じさせる選手でもあった。

 '94年9月横浜で行われたK-1 REVENGE。因縁のリマッチを中心にマッチメークされたワンマッチ大会で、シカティックは以前ホームタウンデシジョンで負けたという声もあるスタン・ザ・マン(オーストラリア)との再戦に挑んだ。

 試合は一進一退の攻防の末、スタン・ザ・マンが5ラウンド判定でシカティックを返り討ちにしたが、試合後シカティックのセコンドに就いたチャクリキのトム・ハーリック会長は驚愕の事実を打ち明けた。

 なんと試合の途中からシカティックの右スネは大きく割れていたというのだ。

 同日夜、試合写真を確認すると、中の骨が見えるほど大きく割れていることが判明した。それでも、試合中シカティックは痛みを察知されるような素振りを見せたり、弱音を吐いたりすることは一度もなかったのだ。

【次ページ】 「チャクリキに痛いという感情はない」

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