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“石の拳”シカティック逝去。
戦士としての人生と死闘秘話。 

text by

布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

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photograph bySusumu Nagao

posted2020/03/25 20:30

“石の拳”シカティック逝去。戦士としての人生と死闘秘話。<Number Web> photograph by Susumu Nagao

1993年の第1回「K-1 GRAND PRIX」を制覇したブランコ・シカティック。他の格闘家とは異なるオーラを放つ“軍人”だった。

「チャクリキに痛いという感情はない」

 インターバル時、セコンドは深刻なケガを負っていることを把握していたが、シカティックは「絶対に試合を止めないでくれ」とタオル投入を拒み続けていたという。

 全試合終了後、控室で筆者が「痛くなかったのか?」と聞くと、シカティックはサラリと答えた。

「チャクリキに痛いという感情はない。ひとたびリングに上がれば、痛みは恥になる。だから痛くないよ。今回はちょっと切れただけさ」

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 やせ我慢には聞こえなかった。

 カッコをつけているようにも思えなかった。これが、シカティックの生き方なのだと思った。

戦争参加のために一度は現役引退。

 K-1におけるシカティックの試合数は少ない。

 '94年12月にはクロアチアの独立戦争に参加したいという理由で引退を宣言したうえでアーネスト・ホーストとの1年8カ月ぶりの再戦に臨んだ。

 この時はK-1でコンスタントにリングに上がっていたホーストに分があると思われたが、前戦同様シカティックはホーストを2Rに右ストレートでKO。返り討ちにしてしまった。シカティックは最後までK-1の象徴として生き抜いた。

 その後、K-1に復帰したと思いきや、PRIDEのリングにも登場し、キックボクシングだけではなく“バーリトゥード”(当時総合格闘技はそう呼ばれていた)にも挑戦した。

 しかしながら、すでに40を過ぎているという年齢の問題もあったのだろう。K-1に登場した時のような大きなインパクトを残すことはできなかった。あと10歳若ければ、もっと積極的に総合格闘技に挑んでいたかもしれない。

【次ページ】 晩年は大の親日家として積極的に活動。

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