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“石の拳”シカティック逝去。
戦士としての人生と死闘秘話。

posted2020/03/25 20:30

 
“石の拳”シカティック逝去。戦士としての人生と死闘秘話。<Number Web> photograph by Susumu Nagao

1993年の第1回「K-1 GRAND PRIX」を制覇したブランコ・シカティック。他の格闘家とは異なるオーラを放つ“軍人”だった。

text by

布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

PROFILE

photograph by

Susumu Nagao

 伝説の拳が天に召された。

 ブランコ・シカティック(クロアチア)。享年65。死因は肺血栓症の悪化だったという。2年前、肺血栓症で入院したシカティックは直後にパーキンソン病も併発。最近は家族のサポートのもと、アドリア海に面した古都ソリンにある自宅で療養していたが、3月22日帰らぬ人になった。

 初来日は初めてのK-1として行われた1993年4月の『K-1GRAND PRIX'93』だった。世界で初めて行われたヘビー級ファイターによる8人制のワンデートーナメントに出場したのだ。正直、当時のシカティックは日本では無名の選手にすぎなかった。

 しかし、初戦(準々決勝)で安生洋二との異種格闘技戦でプロレスファンにも人気の高かったチャンプア・ゲッソンリット(タイ)を体格差とパワーで圧倒。1ラウンドに右ストレートでKOするや、一気に波に乗った。

 続く準決勝では日本期待の佐竹雅昭を左フックで3RKO。決勝ではシカティック同様、ノーマークながらピーター・アーツ(オランダ)とモーリス・スミス(米国)を下して勝ち上がってきたアーネスト・ホースト(オランダ)を右ストレート一発で葬った。

シカティックがK-1のKを“KOのK”にした。

 シカティックが3試合連続KOで優勝したことで、“K-1のKはKOのK”として世に知られることになった。

 ヨーロッパの選手はパンチとキックのコンビネーションを駆使することが多いが、シカティックの右ストレートや左フックは一撃必殺と呼ぶに相応しい破壊力を秘めていた。

 出場メンバーの中でシカティックは34歳と最高齢だったが、後日驚愕の事実が発覚する。実際には4歳上の38歳だったというのだ。

 実年齢で出場しようとすれば、年齢で引っかかるとでも思ったのだろうか。

【次ページ】 本業は、特殊コマンド部隊の教官。

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