令和の野球探訪BACK NUMBER
周東佑京ら輩出の東農大オホーツク。
好選手を育む氷点下20度の“虎の穴”。
posted2020/03/26 20:00
text by
高木遊Yu Takagi
photograph by
Yu Takagi
昨年のプレミア12で「足のスペシャリスト」として抜擢されると大活躍を遂げた周東佑京(ソフトバンク)。3月15日のオープン戦では快速を飛ばしてランニング本塁打を放つなど、今季のさらなる飛躍に注目が集まっている。
彼が大学4年間を過ごしたのは、北海道網走市にある東京農業大学北海道オホーツクキャンパスだ。最も近い大都市の札幌からも約330キロ。ある部員は「遊ぶところはカラオケくらい。野球をやるしかない環境ですね」と笑う。
そして最も寒い時期で氷点下20度にもなる厳しい冬も待っている。だが、そんな北の最果ての地から、わずか30年ほどの歴史で周東をはじめ、これまで14名の選手がNPBへと羽ばたいている。
いかにして若者たちはこの地に集うのか? そして、いかにして成長を遂げるのか? そのキーマンに成り立ちを探るとともに、現地に赴いて強さが身につく要因を探った。
「サークルのような状態から」始まった。
近年躍進著しい地方大学野球のトップグループに位置すると言っても過言ではない大学の歴史を語るのに欠かせない男が現在は東京都世田谷区にある東京農業大学で指揮を執る樋越勉だ。今年4月で63歳となるが、言葉だけでなく体全体から若さが漲る。
「ここで野球ができるんだろうか……」
1990年5月26日。東京から北海道・網走に向かう飛行機から見た景色を今も忘れられないと言う。都会で生まれ育った男の眼下に映る広大な大地は衝撃的だった。
樋越は、銀座で花屋を営んだ後、母校である東京の日本学園高校と東京農業大(東京・世田谷キャンパス)で指導をし、大学の命でその翌年創部された網走の東京農業大生物産業学部(2012年から現名称)のコーチに就任した。1990年秋の終了後からは監督に就任し、2017年まで約30年間指導にあたった。
強化を託されて向かった樋越だったが、選手の意識もぺんぺん草などが生い茂るグラウンドも「サークルのような状態」だった。練習のボイコットもされ、退部者も多く出た。